2020.10.30(Fri)
今日は冷たい風が吹いています。
長男マル太、昨晩両方の鼻が詰まって苦しんでおりました。
寝不足と頭痛で今日は中学校を欠席しています。
(朝ごはんしっかり食べたのに
学校に持って行くはずだったお弁当を10時に食べ、
お昼もがっつり食べ、元気やん!という状況です)
ただいま次男セン次が左足を捻挫中で
ハムスターゆきちゃんも動物病院通い(と言っても2回)など
ちょっと慌ただしい日々です。
さて、小さな感動ふたつめの話の前に・・・
パニック障害の症状や程度は人それぞれで、
受け止め方や付き合い方もそれぞれだと思います。
合ってるとか間違っているとか
そういうことはないものだと思います。
私が書くことは誰のためでもなく
私自身のために書いていることであって、
あくまで一個人の思いです。
そこを了承いただいた上で読んでいただければと思います。
先日の心エコー検査。
小さな感動、ふたつめは診察室に入る前のこと。
なので本当はこっちがひとつめということになるのかな。
やっぱりふたつめかな。
どっちでもいいんですけど。
診察室に入る前、問診票を書きました。
書き終える頃に看護師さんがやって来て、
私の隣に座って問診票を見ながらいくつか質問されました。
特に心療内科に通っている内容について詳しく訊かれて
以前に8年間薬を飲んでいて11年間断薬後、
先月から薬を飲み始めたことなどを話しました。
赤ペンでたくさん問診票に書き込んでくださって
先生の手に渡った問診票は真っ赤になっていました。
先生が机に置いた問診票にふと目が行った時、
「11年間休薬」という赤い文字が目に留まりました。
「休薬」今まで使ったことのない言葉です。
病院からの帰り道、
「そっかぁ、私休薬してたんや」と考えていました。
休薬。
なんと言うか、ちょっとやさしい言葉やなぁと思います。
医療に携わる人たちにとっては
普通に使われている言葉かもしれないし、
単純に以前薬を飲んでた人が飲まなくなって
また飲み始めたのだから「休薬」なのかもしれないし、
そもそも「断薬」という言葉はすごく主観的な言葉で、
客観的に見れば「休薬」になるだけかもしれない。
でもなんか、やさしい言葉を知ったような気がしました。
それがふたつめの小さな感動です。
もし私がまた薬の力を借りなくて過ごせるようになっても、
「断薬に成功した」じゃなくて「休薬に入れた」と思おう。
私の性格では「断薬」から薬に戻るのは難しい。
でも「休薬」なら少しは戻りやすいんちゃうかな。
心療内科の先生に言われた通り、
今はきちんと薬を飲んで普通の生活を送る。
それだけを考えないといけない時期ですが、
そんなことを思いました。
パニック障害は私の一部。
だからパニック障害と向き合うことは自分を大切にすること。
最近そう思えるようになりました。
私がこの先、薬を減らしたり休んだりできるようになっても
私の体のアクセルが行き過ぎて「止めて!」と叫ぶなら、
いつでもブレーキをかけてあげられるように
もう薬を切らすのはやめよう。
我慢も諦めも開き直りも大事なセルフコントロールのひとつ。
薬の力を借りることも大事なセルフコントロールのひとつ。
服用せずに持っているだけ、も含めて。
ずっと前にもそう思っていたはずなのに
「断薬できた」に縛られ過ぎて(もしくはいい気になって)、
いつのまにか忘れてしまっていました。
妊娠・授乳という薬を飲めない期間もあったわけですが。
今思うのは・・・
我慢の時間を減らして、
行きたくて行けなかった場所に行ったり、
やりたくてできなかったことをやったり、
そういう時間を増やしていきたい。
怒涛のような子育て期間もせっかく過ぎたことだし、
もっと自分を大事にしていきたいということ。
私の中のパニック障害をちゃんと見てあげて、
時にはよしよししてやって、そっぽ向かずにいたいということ。
こんなこと書いてますが、
私の我慢癖はたぶん一生治りません。
私はそういう人間なんだと思います。
だからあえてここに書いて
忘れないようにしようと思います。
カテゴリ『パニック障害の記録』も
途中で投げ出したままになっていますが、
(それがまさにパニック障害を突き放してきた証拠かも)
昔の大失敗もやっぱりちゃんと書いておこう。
ぼちぼちやっていきたいと思います。
長男マル太、昨晩両方の鼻が詰まって苦しんでおりました。
寝不足と頭痛で今日は中学校を欠席しています。
(朝ごはんしっかり食べたのに
学校に持って行くはずだったお弁当を10時に食べ、
お昼もがっつり食べ、元気やん!という状況です)
ただいま次男セン次が左足を捻挫中で
ハムスターゆきちゃんも動物病院通い(と言っても2回)など
ちょっと慌ただしい日々です。
さて、小さな感動ふたつめの話の前に・・・
パニック障害の症状や程度は人それぞれで、
受け止め方や付き合い方もそれぞれだと思います。
合ってるとか間違っているとか
そういうことはないものだと思います。
私が書くことは誰のためでもなく
私自身のために書いていることであって、
あくまで一個人の思いです。
そこを了承いただいた上で読んでいただければと思います。
先日の心エコー検査。
小さな感動、ふたつめは診察室に入る前のこと。
なので本当はこっちがひとつめということになるのかな。
やっぱりふたつめかな。
どっちでもいいんですけど。
診察室に入る前、問診票を書きました。
書き終える頃に看護師さんがやって来て、
私の隣に座って問診票を見ながらいくつか質問されました。
特に心療内科に通っている内容について詳しく訊かれて
以前に8年間薬を飲んでいて11年間断薬後、
先月から薬を飲み始めたことなどを話しました。
赤ペンでたくさん問診票に書き込んでくださって
先生の手に渡った問診票は真っ赤になっていました。
先生が机に置いた問診票にふと目が行った時、
「11年間休薬」という赤い文字が目に留まりました。
「休薬」今まで使ったことのない言葉です。
病院からの帰り道、
「そっかぁ、私休薬してたんや」と考えていました。
休薬。
なんと言うか、ちょっとやさしい言葉やなぁと思います。
医療に携わる人たちにとっては
普通に使われている言葉かもしれないし、
単純に以前薬を飲んでた人が飲まなくなって
また飲み始めたのだから「休薬」なのかもしれないし、
そもそも「断薬」という言葉はすごく主観的な言葉で、
客観的に見れば「休薬」になるだけかもしれない。
でもなんか、やさしい言葉を知ったような気がしました。
それがふたつめの小さな感動です。
もし私がまた薬の力を借りなくて過ごせるようになっても、
「断薬に成功した」じゃなくて「休薬に入れた」と思おう。
私の性格では「断薬」から薬に戻るのは難しい。
でも「休薬」なら少しは戻りやすいんちゃうかな。
心療内科の先生に言われた通り、
今はきちんと薬を飲んで普通の生活を送る。
それだけを考えないといけない時期ですが、
そんなことを思いました。
パニック障害は私の一部。
だからパニック障害と向き合うことは自分を大切にすること。
最近そう思えるようになりました。
私がこの先、薬を減らしたり休んだりできるようになっても
私の体のアクセルが行き過ぎて「止めて!」と叫ぶなら、
いつでもブレーキをかけてあげられるように
もう薬を切らすのはやめよう。
我慢も諦めも開き直りも大事なセルフコントロールのひとつ。
薬の力を借りることも大事なセルフコントロールのひとつ。
服用せずに持っているだけ、も含めて。
ずっと前にもそう思っていたはずなのに
「断薬できた」に縛られ過ぎて(もしくはいい気になって)、
いつのまにか忘れてしまっていました。
妊娠・授乳という薬を飲めない期間もあったわけですが。
今思うのは・・・
我慢の時間を減らして、
行きたくて行けなかった場所に行ったり、
やりたくてできなかったことをやったり、
そういう時間を増やしていきたい。
怒涛のような子育て期間もせっかく過ぎたことだし、
もっと自分を大事にしていきたいということ。
私の中のパニック障害をちゃんと見てあげて、
時にはよしよししてやって、そっぽ向かずにいたいということ。
こんなこと書いてますが、
私の我慢癖はたぶん一生治りません。
私はそういう人間なんだと思います。
だからあえてここに書いて
忘れないようにしようと思います。
カテゴリ『パニック障害の記録』も
途中で投げ出したままになっていますが、
(それがまさにパニック障害を突き放してきた証拠かも)
昔の大失敗もやっぱりちゃんと書いておこう。
ぼちぼちやっていきたいと思います。
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