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青春回顧録13

今年のサンタさんからのプレゼント。


マル太。
リクエスト通り天体望遠鏡。
最大倍率90倍。
まだピント調整の練習中で使えてませんが、
月や土星の環や木星の模様が見えたら感動です。
私は土星は体験済みです。
本はおまけ。


セン次。
第一希望の「うまれてウーモ」は手に入らず。
第二希望の恐竜のラジコン。
本人が思っていたものはクリスマスに間に合わず、
こちらをプレゼント。
ティラノサウルスとトリケラトプスが戦えて、
気に入った様子でホッとしてます。


ケンゾー。
リクエスト通り「プラレールおしゃべりパーシー」。
ウチは男の子3人ですが、本気のトーマス好きはケンゾーだけ。
3人目にしてプラレールが増えてくなー。



さて続き。

曽我部さんを追わなくなって、
サニーデイもアルバム単位で聴くことがなくなった。
春になったらあの曲が聴きたいな、
冬だからこの曲聴こうとか
1曲拾って聴くのが普通になっていました。
アルバムまるごとは思い出したくないことまで
思い出してしまいそうで聴けなくなってたのかな。
青春なんてもう懲り懲り、みたいな。
その頃は音楽自体から少し離れてたような気がします。
広告代理店の仕事が忙しくて、
帰ったら夜中、朝起きて仕事、
という日々だったせいもあると思いますが。

時は流れて、
私はパニック障害を悪化させて入院したり、
でもなんとか自分で自分を扱えるようになり、
結婚して妊娠して広告代理店を退社して
2007年9月にマル太を産みました。
もう曽我部さんがどんな活動をしているかも
よく分かってなかったと思うし、
サニーデイを聴いて懐かしさはあっても
胸が苦しくなるということはなかった気がします。
ただ『FUTURE KISS』と『LOVE ALBUM』は
ずっと聴かないままでしたが。

そして私はマル太が生まれてから2年くらい、
あまり良い精神状態ではありませんでした。
専業主婦になったことや、初めての育児、
産後クライシスとか、まあいろいろ。
基本的に幼い人間なので、
いろいろと時間がかかったタイプです。

そんな中、2008年4月頃。
何を思って調べてみたのかは全く憶えていませんが、
とにかく曽我部さんのホームページを開きました。
(その年の3月に姉の結婚式で東京へ行ったので、
なんとなくサニーデイを思い出す日々だったのかも??)
そこに曽我部恵一BAND(以下ソカバン)が
結成4年目にして初のスタジオアルバムリリース!
みたいなことがありました。
アルバム出てなかったんやとびっくりしましたが
(ライブ中心のバンドなのでしょう)
素直に聴いてみようかなと思えました。
それがリリース直前だったかリリース直後だったか、
とにかくかなりタイムリーで、
これも何かの縁かな~と思った憶えがあります。


『キラキラ!』
仲が良さそう。
サニーデイのジャケットとは全然違うなー。
メンバーについては長くなるので書きませんが、
『LOVE ALBUM』に参加してた人はいません。

そっちの青春かぁ。
私が経験したことがないとは言わないけど、
あまり経験しなかった方の青春。
タイトル通りキラキラした直球の青春。
お子さんの名前も出てくるし、
一人称が曽我部さん全開の曲も多い。
情景描写の豊富なサニーデイと違って、
気持ちがストレートに歌われる曲。
そして、サニーデイとは音が違う。
テンポもそうだけど、迫力?圧力?
知識ないのでいい言葉が出てこないんですが。
とにかく根本的に違う。
さすがライブ本数の多いバンドで、
演奏力にも表現力にも長けたバンドなんだなぁと思いました。
結局この1枚しかアルバムは聴いたことがないんですが、
私は『海とオートバイ』という曲が好きになりました。
アルバムの中では地味な位置づけの曲っぽいですが。

で、このアルバムの中に
『青春狂走曲』が収録されていました。
サニーデイの曲。
解散から7年を過ぎていて、
もう終わってしまったこととして受け入れられるようになっていて
サニーデイの曲なのに・・・とか思いませんでした。
へー、青春狂走曲もやってるんやー、くらい。
そもそも曽我部さんの作った曲なので、
セルフカバーというのですよね。

これがソカバンの『青春狂走曲』。
私が書いた「青春回顧録2」に貼った
サニーデイのこの曲のMV観てくださった方がいらっしゃったら、
(あのMVのイケてなさみたいなのは本当によく出来てる笑)
こちらもぜひ。
同じ曲で同じ人が率いているのにこんなに違う。
片やライブ、片やMVということが問題にならないくらい。
アレンジが違うとかいう問題じゃなくて、
バンドの体質(?)が異なる。
どっちがどうとかの前に、面白いなぁと思います。


あの2人と離れて良かったんだ、
なんて言い方をしてた人もいましたが、
そんなこと思わないし思いたくなかったけど。
このアルバムを聴いて
これが曽我部さんのやりたかったことなら
サニーデイの解散はどうしようもなかった。
そう思うしかなかったし、素直にそう思いました。
だから再結成なんて想像もしませんでした。
しかもこの年の夏のことです。

『キラキラ!』





これがたぶん今年最後の更新になると思います。
いつもひとりごとみたいなブログで
誰かに何かを伝えたり、提案したり、
思考を深めさせたりできるようなものではありませんが、
まー9月以降はひどいもんで(笑)
自分勝手にできるのもブログの良いところといえばそうですが。
それでも訪問してくださった皆様、ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。








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青春回顧録12

冬休みまであと2日。
マル太もセン次も
なんとか元気なまま2学期の終わりを迎えたいです。

続き。
サニーデイが解散した後、
私は半ばムキになってサニーデイを聴き続けました。
でも、当然ながら今までと同じようには聴けなくて、
私の大切な時間は無くなってしまいました。
『FUTURE KISS』と『LOVE ALBUM』は
すぐに聴かなくなりました。
曽我部さんは解散とほぼ同時に結婚され、
まもなくお子さんが生まれました。

年が明けて、2001年の1月から春までは
ずっとお腹が痛いみたいな感じでした。
本当にお腹が痛かったわけじゃなく、
じっと何かに耐えてる感じ。
低く呻いていたい感じ。
過ぎるのをひたすら待つようなそんな感じ。

あとは卒業を待つだけの4回生はほとんど大学には通わない中、
私はどうしても落とせない1科目とその保険の科目のために
頻繁に大学へ行きました。
友達はいない。
名物グラウンドがあった場所には大学院の学舎が建った。
彼氏もいなくなった。
サニーデイは解散した。
春になって何かが始まるという気がしなかった。
それよりも何かが終わっていく感覚の方がはるかに強くて、
幼くて弱っちい私は縮こまっていくばかりでした。
卒業式には華やかな袴姿で出席し、
写真のなかではちゃんと笑っていますが、
心はずっと低く唸っているようなひどい状態でした。

春になって、
昼間は広告代理店、夕方からは塾講師というペースを
なんとかつかんで頑張っていたのですが。
夏頃、パニック障害を発症。
もう詳しくは書きませんが、
会社や駅やホームでうずくまったり運ばれたり。
塾で授業もできなくなって、電話1本で塾で辞め、
(広告代理店だけは意地になって続けました。
続けさせてくれる人たちに出会えたことに感謝です。)
通勤も一人でできない、コンビニも一人で行けない、
お風呂も一人で入れない、
情けない日々を送っていました。

そんな2001年12月。
解散からぴったり1年後。
曽我部さんのソロデビューシングルがリリースされました。
小西康陽さんのレーベルからでした。
『LOVE ALBUM』で関わった人たちと、
『LOVE ALBUM』のような音楽をやっていくのかな、
それはちょっと聴けないな、
なんて思っていた私ですが、全然違いました。
えっ?と思うくらいシンプルでフォーキーな曲。

でも当たり前ですが、そこに田中さんと晴茂くんはいない。
そして、詞の中にお子さんの名前が出てきたり、
サニーデイの歌詞では聞いたことのない
「戦争にはちょっと反対さ」というフレーズ。
サニーデイは「僕」や「君」や「あの娘」が特定の誰かではない、
誰でもない誰かの歌が多かった。
でもこの曲の「僕」は紛れもなく曽我部さん自身で、
本当にソロになったのだとわかりました。
曽我部さん、こういう歌が歌いたかったのかなぁと
ぼんやり考えてました。

それにしても私、このCDをどうやって手にしたのかな。
お店に買いに行ったのかな。
この頃の私にそんなことができたのかな。

『ギター』
これがそのソロデビューシングル。


曽我部さんはこの後、サニーデイでは歌わなかったことを歌い、
ライブのパフォーマンスも大きく変わりました。
歌声は太くなっていき、叫ぶように歌うことも多く、
明らかに歌唱力が変わっていきました。
インディーズレーベル(ROSE RECORDS)を立ち上げられ、
自身の作品と新しいミュージシャンの作品を次々にリリースし、
ライブ出演は年間200本以上とも言われました。
2005年には曽我部恵一BAND(ソカバン)という
4人編成のバンドを結成しました。
CMや楽曲提供、プロデューサー業も多数手がけられ、
レコードショップ&バーを開き、3児の父になられました。
(現在はシングルファーザーでいらっしゃるようです)
本当に体がいくつあるのかというくらい精力的に活動され、
日記のような歌や人生や思いをダイレクトに歌う歌など、
サニーデイとは別物の音楽を発表されました。

私は、3枚目のソロアルバムまで聴きました。
3枚目の『STRAWBERRY』というアルバムが
とても好きで、とても好きだったのですが、
ついついサニーデイらしさを求めたり、
曽我部さんが変わっていくことに
いちいち反応したりするのがしんどくなってきて、
もう曽我部さんを追うのはやめようという気持ちになりました。
そのアルバムが初めて曽我部さんの立ち上げたレーベルから
リリースされたということもあって。
曽我部さんは順調、こうやってやっていかれるんだというのが
ちょっとわかった気がしたせいもあったと思います。

この頃、曽我部さんはサニーデイのアルバム『東京』を
全て演奏するというライブとそのライブを収録したCDを発売しました。
それを行った理由のひとつを
「離れていったサニーデイ時代のコアなファンを取り戻したかった」
と、とても正直に話していましたが、
これを読んで、私と同じように離れていったファンが
たくさんいたのだということがわかりました。

田中さんは。
Sくんから、とあるミュージシャンのライブ会場で
スタッフとして物販を行っているらしいと聞きました。
裏方に回られたんだなと思っていましたが、
田中さんは音楽業界で本当にいろんなことをされていたようです。
ディレクター、プロデューサー、マネージャー業、
サポートやユニットでもちろんベーシストとしても活躍され、
大手のレコード会社での仕事もこなされていた(いる)とか。
いろいろ情報があってよくわからないくらいです。
なんか田中さんて、『雨ニモ負ケズ』みたいな人だなと思います。
「自然に吹く風みたいに飄々とした超タフな人間になりたい」
ということだと私は解釈してるのですが、
田中さんはそんな感じの人だな~と。
田中は仕事を選ばないとかいう言い方をする人もいますが、
それってめちゃくちゃタフな人にしかできない気がします。
ちなみに、私はまだ出くわしたことがないのですが、
全国あちこちで仕事をされるうちにラーメン通になり、
最近はラーメン評論家としてテレビに出演されてるとか。
本も出版されたようで。
テレビ観てて、突然田中さんが出てきたら・・・
出くわしてみたいような、みたくないような(笑)

晴茂くんは。
サニーデイ解散後、音楽業界にはいなかった、
ということしかわかりません。




青春回顧録11

ちょうど16年前の今頃のこと。

『LOVE ALBUM』の後、
進んで情報を拾いに行かない私にYくんとSくんが
なんとなくいろんなことを教えてくれました。
曽我部さんが演奏力を求めていることとか、
晴茂くんが曽我部さんについていけなくなっていることとか。
そんなのどこまでが本当か分からないけど、
『LOVE ALBUM』を聴けば聴くだけ不安になった。

そんな2000年12月6日。
大学のすぐそばにあったレコードショップにいつも通り寄り道したら、
レジのすぐそばに並んでるCDを見てびっくりした。
その日発売のサニーデイのミニアルバム。
何これ??そんなの全然知らなかった。
まだインターネットなんて使えなかった私が仕入れられる情報は
ラジオからとお店に貼り出される宣伝と友達からだけだったけど、
本当に何も知らなくて。
こう言ってはなんだけど、
ジャケットの印象もなんだかちょっと急ごしらえな感じが。
腑に落ちないけど、とにかくその場で購入した。
たぶんYくんとSくんにメールで知らせた。
(4回生の時に携帯を持ち始めました)


ミニアルバム『FUTURE KISS』(2000年12月、5曲)

これはその年の夏に、とある幼稚園の園庭で
園児たちを前に行ったライブを収録したもの。
3人の他に3人のサポートを加えてのライブでしたが、
演奏がかなり生々しい(ドラムはなしでリズムボックスを使用)。
園児たちのワーキャーという声もそのまま入っていて
臨場感たっぷり。
これがなんだかとっても良くて、
特にスライ&ザ・ファミリーストーンの
『SOMEBODY’S WATCHING YOU』に
日本語詞をつけたものがすごくいい雰囲気でした。

曽我部さんの書いた文章が載っていました。
このライブを気の向くままに計画し、
2000年7月12日になんとなくそれを実行したこと、
初夏の陽射しで機材も園児たちも熱くなり、
トランス状態になったこと。
晴茂くんの操作するリズムボックスが
曲のたびにゆっくりテンポが落ちていくのも
初夏の太陽のせいだということ。
それから
「このアルバムは2000年7月12日の完全な記録です。
そしてそれは未だ見ぬ未来のある日につながっていると
ぼくは信じています」と。
日付は9月6日になっていて、
だから『LOVE ALBUM』を録っている頃のライブで、
録り終えたくらいに書かれたことになるのかな。
あえて晴茂くんに触れ、その書き方に愛がある感じがして嬉しかった。
サニーデイはやっぱりサニーデイかもしれないなぁなんて
のん気なことを思いながら楽しく聴きました。


そのたった2日後。12月8日。
塾講師のアルバイトをしていて
授業と授業の合間、5分間の休憩時間に
ふと携帯を見ると大学のYくんからメール。
「サニーデイ解散決まったらしい」って。

どうしよう、授業のことだけ考えないとと
気持ちだけ焦るけど、動悸が止まらない。
今は何も考えてはいけないと思うけど、
「解散」という言葉がぐるぐる回って、
周りの音が遠い感じがしたまま授業をしました。

授業を終えて、Yくんに電話をかけた。
Yくんはネットでそのニュースを知ったみたいで、
確実な情報だと言っていました。
しかしジョン・レノンの命日に合わせてくるとはな、
ってYくんはショックというより興奮しているみたいでした。

Sくんには私が知らせた。
冷静なSくんは驚いた後、
バンドは解散するものだと言ってた。
それにサニーデイが解散しても
曽我部さんの曲はこの先も必ず聴けるはずだとも。

正式に発表されたのは12月10日だったみたい。
『LOVE ALBUM』ツアー最終日、
12月14日のライブをもって解散すること。
発表からわずか4日後、
年末に決まっていたテレビ番組の収録を
キャンセルしての急ぎ足の解散となりました。

8日に公になったのはキャンセルした番組側が
サニーデイの出演がなくなったこと、
その理由が解散だということを公表したためだったようです。
だからYくんの言ったジョン・レノンは全く関係なかった。
そりゃそうよ、命日に合わせるなんて意味わからんもん。

12月14日、最後のライブの時間帯、
私はやっぱり塾にいました。
今頃ライブをやっている、もう終わってしまったかな、
どうしてもそんなことを考えてしまっていました。
もう絶対ライブは終わったと思われる時間、
家に帰ってどんなふうに過ごしていたか思い出せないけど、
Yくんからメールが。
今日のライブ終わった後のサニーデイの最後の写真を
パソコンに送ったから、って。
パソコン開いたら写真が届いてた。
3人並んで微笑んで、すがすがしい顔をしてた。
私が知っているサニーデイの写真の中で
いちばん親密に見える写真でした。
そのことにホッとしたような気持ちになったけど。

『LOVE ALBUM』の曲の中にある詞、
「昨日と今日と明日を駆ける旅のできごと」
そんなふうにサニーデイも終わっただけ、
バンドに解散はつきもの、
曽我部さんの作る曲はこれからも必ず聴ける、
サニーデイの曲だってずっと聴き続ければいい。
それをどんなに言い聞かせても
寂しくて悲しくて、パソコンの前で泣きました。

テクニックはないのかもしれない、
バタついたりモタつたりするのも知ってる、
迫力はないかもしれないけど
生で聴いても耳がキンキンしない心地よい音がする、
シンプルなリズムもグルーヴして聴こえる、
そんな晴茂くんのドラムが大好きで、
どうしてこうなったんだろうって
考えても仕方のないことだけど。
なんで終わってしまったんだろうって。

Yくんが知らせてくれなかったら、
解散後に解散を知ることもあったかもしれない。
まだネットなんて使っていなかったし、
テレビで取り上げられる知名度はないし。
実際、ライブの会場で初めて知ったという人もいたみたい。
そしてそういう人たちの話によると、
曽我部さんがライブの途中で解散の報告をした際、
お客さんはざわついたり騒いだりする様子もなく、
皆静かに話を聞いていたそうです。
また、解散についての雑誌などの取材に
本人たちが応じることはなかったようです。


2000年の終わり、大学4回生の時、
大好きで大切なバンドが解散しました。




青春回顧録10

サンタさんにお願いしている
セン次のクリスマスプレゼントが
品切れでどうにもならなそう。
どうしようかなー。


続きです。
サニーデイ以外にも好きなミュージシャンは
たくさんいるのですが、
「○○なミュージシャンランキング」で
1位をサニーデイにしたとすると、2位3位がわからない。
その先が続かない。
別枠という感じがする。
別格ではなくて。

りるび。という人は
ちょっと頭がおかしいんだなと思われても仕方ないけど、
サニーデイは自分の影みたいな、そういう感じ。
だから元気をもらえるとか、勇気をもらえるとか、
尊敬できるとか、憧れるとか、そういうことにはならない。
以前にミーハーは気持ちはないって書きましたが、
それもまあそういうことです。
好きだと誰かに話すことに抵抗があったのも。

「素になれるミュージシャンランキング」が
いちばん合ってるかもしれない。
ただ2位以降は続かないからランキングにはならないけど。
自分の部屋で一人で聴くのが好きだったのもそういうことかも。
自分が等身大でいられる空間で
等身大の人たちの音楽を聴く。
外ではどうしても「自分以上」に振舞ってしまっていた
20歳くらいの私にとって、
サニーデイはそういう存在だった気がします。

2000年9月。
前回書いた『魔法』から2カ月後くらいに、
7thアルバムがリリースされました。


7thアルバム『LOVE ALBUM』(2000年9月、13曲)

いつもは楽しみだったサニーデイのリリースが
『魔法』の後だったこの時はなんとなく怖かった。
タイトルからして。
手に取って開いて聴いて、不安になった。
クレジットは「SOUND:」となっていて、
3人の名前の後に12人の名前がずらずらと並んでる。
誰が何を演奏したのか何も書かれてない。
プロデューサーが外部の2人と曽我部さん。
こんなのも初めて。
(キリがないので2人については詳しく書きませんが)
写真はいつもの微妙な距離感のある3人の写真じゃなくて、
10人以上で並んだ中に3人も混ざってる。
みんな笑ってる。楽しそう。
でも何これ?
スリーピースバンドとして機能していないことが一目でわかる、
そんな写真でした。

このアルバムが最高傑作だと言う人もいる。
(よしもとばななさんが大絶賛してた)
作品としてちゃんと聴けば、
そういう人がいるのも分かるといえば分かる。
ただ、受け入れられないだけ。
響く電子音、正確なリズムを刻む打ち込み。
それ自体が嫌いだなんて思ったことはないけど、
むしろそういうのも結構好きだけど、
サニーデイのアルバムとして聴いてしまうと
どうしても受け入れられないし不安ばかり。
この記事を書くにあたって、
約16年ぶりにこのアルバムを聴きました。
私が女だということもあるのか、
(女性はいろんなことを切り離して考えるのが苦手という意味で)
晴茂くん探しみたいになって、
今も純粋に聴けないままでした。

このアルバムに
ドラムの晴茂くんはほとんど参加していないと言われています。
打ち込みが多く、生のドラムも外部のドラマーが叩いているとか。
本当の話かどうかはわかりませんが、
曽我部さんが打ち込みありきの曲作りを始め、
晴茂くんはスタジオで漫画ばかり読んでいたとか。
それを曽我部さんが怒鳴りつけると、
「もう全部打ち込みでやればいいじゃん」と言い、
スタジオに現れなくなったと言われています。
曽我部さんが晴茂くんを締め出したとも言われているし、
もうバラバラなのに解散を言い出せない曽我部さんに
晴茂くんが答えを出したのだとも言われていて、
本当のところはわかりません。
そもそも、夫婦のことは夫婦にしかわからないように、
バンドのことはバンドにしか分からないものだと思います。
わかろうとする方がおかしいんですよね。
それにしてもその頃、
田中さんは何を思って何をしていたのだろうと思います。
あるブロガーさんがサニーデイは曽我部の情緒以上に
晴茂の調子が重要と書いていましたが、
田中さんの淡々とした揺るがないタフさも必須だと思います。

で、私このアルバムのツアーに行ってるんです。
10月。
Sくんがチケットを取ってくれて。
でもなぜかほとんど憶えていないんです。
憶えているのは、アルバムの中から
「この曲やったら盛り上がるかも?」
と思っていた2曲が演奏されなくて、
「好きだけどこれはライブではやらないかな」
と思っていた1曲が演奏されたこと。
あとはライブの途中で後ろの人に
「すみません、一歩前行ってもらえますか?」と言われて
「すみません」と慌てて前に詰めたこと。

会場がどこだったか思い出せなくて調べてみたら、
大阪厚生年金会館大ホール。
厚生年金??全くそんな気がしなくて、
もしかして私行ってへん?と思ったりしたけど、
やっぱり行ったはず。
大阪厚生年金会館は斉藤和義のライブで行ったのを憶えてる。
その時、3階のいちばん後ろのいちばん端の席で、
つまりステージから最も遠い席だった。
その後、確かにもう一度この会場に来てる。
1階から「あの席やな」って振り返って見上げた記憶があるから。
(その時、3階の席にお客さんがいた気がしないんですが)
じゃあそれが誰のライブだったかと言うとわからなくて、
だからそれがこのツアーだったんだと思う。
でも、厚生年金会館って座席があるはずなんですが。
上に書いたように前に詰めた記憶があって、
スタンディングで観たはずで・・・。
立ち見もあったってことかな。
もうごちゃごちゃで、何もかも曖昧になってしまっています。
解散のショックで記憶から消したのかな。
そんなこと本当にあるのかな。

『夜のメロディ』(『LOVE ALBUM』から)
もういろいろ分析したりしても仕方ないので。


曽我部さんいわく、
このアルバムは無理に作ったアルバム、
周りが作ってくれたアルバムだそうです。



ちょっと休憩

早くもマル太のクラスが学級閉鎖になりました。
学校で第一号です。
マル太は元気です。
インフルエンザ、今年は早いみたいです。


12月1日の報道ステーションで
松本隆さんがお話しされたようです。
レコードについて。
今レコードが見直されているみたいですね。
私の家にも子供の頃、レコードプレーヤーがありました。
4歳までいた大阪市の工場の家には
確かにあった記憶があるのですが、
北摂に来てからは見なかったような。
引越しの時に処分してしまったのかな。
私自身はレコードプレーヤーを持ったこともないし、
聴かないのですが、
ずっと根強い人気があったように思います。
私がここのところ書いている記事の中に書いた
YくんとSくんの家にもレコードがありました。
サニーデイもいつもCDと一緒にアナログ盤を発売しますが、
すぐに売り切れてます。

今は配信限定シングルなんかもある時代で、
本当に手軽で便利ですね。
聴く方も手軽だし、作る方も売れ残りとかないですもんね。
でも、形にならない、手に持つことができないというのは
やっぱり寂しいです。
私は基本的にアナログな人間なので、
配信というのはまだ抵抗があって。
どっぷりCD世代でレコードは買わないけど、
できればCDはCD屋さんで手に取って買いたい。
・・・いや、今はそれできてないんですけどね。
手軽にオンラインショップで買ってます。

そして、今回の放送もちょうどテレビを観れない時間帯なので
(もともとテレビはほとんど観ないんですが)、
翌日YouTubeで手軽に観ちゃってるんですけどね。
何が言いたいのかわかりませんが、
とにかく松本さんは素敵な方です。
今月30日は大滝さんの命日です。
もう3年経つんですね。








プロフィール

りるび。

Author:りるび。
パニック障害を乗り越えて、結婚。男の子3人の母。結婚生活を送る上で、子育てをする上で、物事の考え方に変化が。子供とともに成長中。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。開業、転職を繰り返しどうにか落ち着く。
長男(マル太):9歳。何かと器用で飄々とした小学4年生。
次男(セン次):7歳。小学1年生。よく笑い、よく食べる。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):3歳。おませで口達者。甘えん坊。

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