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青春回顧録9

4回生の頃を思い出すと、
いろいろとちょっと苦しくなります。

春頃、母が離婚したいと言いました。
私は家の中ではずっと「おちびちゃん」な存在だったので
私だけ何も知らなかった事実を知りました。
それで子供のころから時々ふと疑問に思ったことの
辻褄が合ったのですが。
「生きてればいろんなことがある」と母が言いました。
私は本当に幼い人間なんだと強く感じました。

4回生になったら、もうほとんど学校へ来ない子も多かったのですが、
私はあまり卒業が余裕じゃなかったのでほぼ毎日通いました。
大学へ行っても周りはほとんど1~3回生で、
友達と顔を合わせることはほとんどなくなりました。
で、コース変更をしたおかげで勉強は少し上向きになりました。
特にゼミは面白かったなと思います。
卒論も意欲的に取り組めたし、
自分なりに良いものが書けたと思っています。
具体的にいえば、私は法律学から政治学へ移行しました。
法律といえば杓子定規な感じがしますが、
柔軟な頭がなければ法律学は習得できません。
私にはその柔軟さが大きく欠けていた気がします。
ある教授が言いました。
良い法律家になるなら、良い物語を読みなさい、
良い映画を観なさい、良い音楽を聴きなさい。
親に無理を言って行かせてもらった大学なのに
私は法律学を途中で投げ出してしまったけど
その言葉の意味だけは少しはわかったつもりです。

私は就職活動をしませんでした。
塾に残ることに決め、
昼間は校正の勉強ができるところで働こうと思いました。
3回生の頃から通信教育で校正の勉強をしていました。
フリーで校正ができるようになるまで頑張るつもりでした。
自分で決めたことなのに、それで行くんだと決めたのに、
本当にそれでいいのか、どこかいつも不安でした。
残ることに決めた塾のスタッフも入れ替わりが始まりました。
仲良しだった人たちはどんどん新しい道へ進んで行きました。

夏、予備校時代の友達と2人でインドへ行きました。
女2人のインドへの旅は「冒険」ですね。
2週間程度でしたが、それはそれは刺激的な旅で
当然書き切ることはできません。
よく無事に帰ってきたなと改めて思います。
飛行機から見たデリーの街の明かりが忘れられません。


で、サニーデイ。
私が4回生だった2000年の夏に、
あるシングルがリリースされました。
『MUGEN』は曽我部のソロアルバム、
田中さんはそう言ったそうですが、
『MUGEN』は今聴いてもどう聴いてもサニーデイ。
だけど、そのシングルは違った。
YくんもSくんも「サニーデイらしくない」とはっきり言った。
そして「2人(田中さんと晴茂くん)、大丈夫かな?」と。
YくんとSくんだけじゃなくて、ラジオでも同じように言われてた。
ずっと『東京』みたいなことはやってられない、
私はその曽我部さんの言葉を思い出して、
これが新しいサニーデイかもしれないと思おうとしました。
でもそれも無理があるくらいの違和感・・・
違和感なんてもんじゃなくて、
田中さんと晴茂くんの影が薄すぎて不安になりました。

『魔法』
結果的にこれが解散前の最後になったシングル。
生のドラムの音だと聴き分けられるのは
このMVで演奏シーンのある間奏部分。
あとは部分的にある気はするけど、
基本打ち込みにしか聞こえない。
このシングルは8曲入りなのですが、
8曲全てが『魔法』。
他の人のリミックスバージョンとかインストとか、
とにかくいろんなバージョンの『魔法』。
曽我部さんのこだわりが強くなってるのは確かだったし、
外部の人たちが多く関わり始めたのも確かで、
サニーデイがサニーデイじゃなくなっていく感覚でした。


この頃はもうバンドに対する思いはなかったって
曽我部さんは言ってるけど、本当にそうだったのかなぁ。
演奏シーンや談笑シーンが入っているのは、
存続させたい思いがあったからじゃないのかなぁ
って勝手に思ったりもするのですが。
このMVだけ曽我部さんが映像監督なんですよね。




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青春回顧録8

先週、長男マル太の小学校で音楽会がありました。
わが家は小学校の校舎に面しているので、
音楽会前になるといろんな歌や演奏が聞こえてきます。
洗濯物干しながら、それを聴くのが結構楽しいんです。

発表はクラスごとなのですが、
昨年マル太は曲紹介をジャンケンで勝ち取り、
鉄琴をオーディションで勝ち取ったわけですが、
今年は合唱でなんと曲紹介をまたまた任されました。
またジャンケンで勝ったのかと思ったら、
立候補した人がそれぞれ内容を考え、
それを皆の前で発表。
内容、声の大きさ、聞き取りやすさ、姿勢などで判断し、
クラスメイト1人2票を持つ投票制だったとか。
それで1番を取り、2番の子と2人で紹介となったそうです。
それすごいやん!と私はかなり感心したのですが、
本人は立候補15人位しかおらんかったしって。
いやいや、充分喜んで自信持つとこと思うけど。
マル太は褒められるのはちょっと苦手なタイプです。
本番大きな声ではっきりと曲紹介できてました。

ちなみに、誰が決めたというわけでもないのでしょうが、
6年生の曲紹介は毎年「ひと笑い」取るのが恒例。
今年はちょっと軽めでしたが。
それにしても6年生の演奏は毎年圧巻です。


さて、続き。
もう引き返せないのでやるとこまでやります。

1999年。私は大学3回生。
3回生はいろいろとしんどかった。
まず勉強がついていけなくなった。
専攻していた学科の成績が悪く卒業に不安があったし、
その分野から気持ちが離れてしまっていました。
中途半端な形で投げ出すことになりましたが、
春にコースの変更手続きをして、
今までと少し違う分野の講義に出始めました。
だから自然と周りの顔ぶれも変わり、
今までよく顔を合わせていた友達と会う機会が減り、
なんとなく孤独。
私は一人が平気な女子でしたが、
なんかやっぱり寂しかった。
これは1回生の時からなのですが、
私は一人で図書館にいることが多い子でした。
本読んだり、塾の予習したりとか。
大学の中で図書館が一番好きな場所でした。
1回痴漢に遭ったけど。

好きな場所といえば、
私の通った大学の私の学部には名物グラウンドがあったんです。
円形になってて、春は周りに桜が咲き誇る場所で、
観客席に座って応援団が練習やってるのを見降ろしながら
お昼を食べるのが入学前の皆の憧れ・・・
みたいな場所。
私はお昼食べるのは憧れませんでしたが(摂食に問題抱えてたので)、
そこはどう見ても素敵な場所でした。
そのグラウンドが無くなると聞いたのもこの時期だったと思います。
周りは就職活動でざわつき始め、
いろんなことがずっと今のままではいられないんだなと感じる年でした。

そしてこの頃は背伸びをしてしまう場面が多かった。
「私なんて」と思ってしまうことが多かった。
自分の進路のことももちろん、いろいろとしんどかった。
同じようにしんどい思いをしていた塾のWちゃんと
この年ベトナムへ旅行に行きました。
この行き当たりばったりの旅行、本当に楽しかった。
日頃の暗い気持ちをとりあえずその時は忘れて、
美味しいものを食べて、いろんな人に出会い、
「いい旅やったね!」と今でも2人で言い合える
そんなベトナム旅行でした。

そんな1999年のサニーデイの6thアルバム。


6thアルバム『MUGEN』(1999年10月、10曲+シークレット1曲)
(シークレットトラックはファンの女性が作った『東京』のオルゴール)

前回の混沌とした5thとはまるで違う。
ジャケットもシンプルで、中身は綺麗でメロウな曲中心。
なんというか、整った印象。
前作であれこれ迷って今回は落ち着いた、
勝手にそんなふうに思っていました。
これが全然違ったわけですが。

ただ、違和感を感じた点もありました。
いつもは曲ごとに誰が何を担当したのか
詳細に書かれていたクレジットが簡素になっていたこと。
それから、アルバムがリリースされる前に
先行シングルが2曲リリースされたのですが、
その2曲の間隔があまりにも短かったこと。
たぶん2ヶ月空いてなかったんじゃないかな。
しかもその2曲目がなんだかシングルっぽくない気がして「??」となった。
なんだか綺麗にまとまりすぎている気がしたというか。
で、最大の違和感はその2曲目の2曲目(ややこしい)。
カップリングが2曲あったのですが
そのうちの1曲に外部のドラマーが参加していたこと。
これはYくんもSくんもすぐに気付いて、「なんで?」となった。

情報遮断気味だった私は、
6thアルバムもニヤニヤとのん気に聴いていたのですが、
このレコーディングは「非人道的」だったそう。
以下、曽我部さんの言葉で私が記憶しているもの。

周りも自分も人間じゃないんだからと思っていた。
メンバーも完全にひいていた。
非常識な時間に外部のミュージシャンを呼び出すなど、
滅茶苦茶だった。
「晴茂くんぽくてOK」とか「曽我部らしいからいい」とかなかった。
晴茂くんができないことを無理にやらせようとした。
「できなかったら他の人が叩くこともあるから」と言った。
自分たちを大切に聴いてくれる人たちのことなんて
全然考えていなかった。
等々。

自分のやりたいことがたくさんあって、
でもそれをバンドの中で消化することができない状態にあったとか。
ドラムは1曲だけ外部の人と2人でやってますが、
(私が8月に載せた『八月の息子』という曲です)
結局晴茂くんが全部叩いています。
そして、田中さんは
「『MUGEN』は曽我部のソロアルバム」
と言っていたらしいです。
でも曽我部さんは非人道的になりきれない人だったんだなと思う
私が違和感を感じた2曲目のシングルは
バンドを存続させたい、サニーデイ像をまとめたいという
気持ちがあったんじゃないか、とご自身が言っていて、
やっぱり非人道的ではなかったんじゃないかと思う。
何もわからないけど、とにかく苦しかったんだなと。
もう何書いてるかわからなくなってきた・・・
おまえ誰やねん、と自分で自分に言いたい。
何もわからないくせに。

とにかくそんなこと、当時の私は全然知らなかった。
Yくんが少しだけそんな話をしていたけど、
情報にあんまり惑わされたくなくて気にしなかった。
こんなにいい曲なんだからそれでいいと思ってた。

『スロウライダー』(『MUGEN』から)
先行シングル1曲目。名曲!
ベトナムでたくさん聴きました。
この曲はファンの人皆好きなんじゃないかと思う。
いろいろ上手くいかない中で、
「ゆっくり急げ」と思って作った曲だそう。
メッセージ的な感覚はなかったみたいですが。
サニーデイの詞にメッセージはないと思う。
「そういう感じ」を感じるだけ。
それを感じるのが大好き、私は。
ここはあえて曽我部さんの詞とは言いません。
だって、ソロやソカバンは違うから。





青春回顧録7

まだやります。

1998年10月、初めてライブに行ったこと。
学生時代はそれなりにいろんなアーティストのライブに行きました。
自分でチケット取ったことはなかったけど。
ユーミンのコンサートだけ自分で取って一人で行ったな。

一人で部屋で聴くのが大好きだった私が
サニーデイのライブへ行くことになったのは、
大学のサニーデイ友達のYくんが
知り合いの誰かからチケットを買い取ったためでした。
大阪の2daysライブのチケットが
行き違いで2日間とも3枚ずつ取れてしまったから
1日分買い取ってほしいと言われたとかなんとか。
誘われた時はライブに行くのはなんかちょっと恐いというか、
(知りすぎるのは恐いという気持ちから)
えー!どうしよう・・・と思ったのですが、
チケットあるなら行くしかないやん!
ということで3人分のチケットを買い取り、
Yくんと私と学部の友達のNちゃんの3人で出かけました。
Nちゃんとは別の人のライブで3人で行ったことがあり、
サニーデイファンではなかったけど
『東京』ファンだったので誘ってみたのです。

会場は京橋のIMPホール。
すごい興奮と一体感!!
ということはありませんでした。
私が行ったことのあるライブの中では
いちばん静かなライブでした。

なんたってロックバンドなので
大体がカッコつけたりひけらかしたり、
そういうのがあるものだと思うのですが。
大事な演出のひとつとして。
そういうのがあってこそ盛り上がるものだと思うのですが。
それが全くなかった。
目立ったパフォーマンスがなかった。
演奏がヘタだと言われていることを逆手にとって
カッコ悪ぶる様子もなかった。
サポートメンバー含めて、
素の人たちがしっかり緊張して一生懸命に演奏している。
ガチガチの緊張じゃなくて、ピリピリした緊張感。
一体感とかなくて、むしろ突き放されているような印象さえ受けました。
だから聴く方も盛り上がるというよりも一生懸命聴く、そんな感じでした。
ラジオなどではよく喋る曽我部さんのMCもボソボソとしていて
田中さんと晴茂くんは一言も喋らない。
そして私はその内容を全く憶えていない・・・

オールスタンディングで後方の真ん中あたりに私たちはいたのですが、
背の低い私からはステージは見えづらく、
ドラム叩く晴茂くんの姿なんてチラリとも見えた記憶がありません。
その分、音の印象は強く残っていますが。

これは全部後で知ったこと。
サニーデイのライブは観客が盛り上がらないと言われていたし、
前方よりも出入り口付近が混雑しやすいとも言われていたし、
曽我部さんは当時ライブが好きじゃなかったらしいし、
上手くならなきゃと焦っていたそうだし、
晴茂くんは再結成後はライブは気持ちよくなるためのもので、
そこが昔といちばん違うところだと言っていたし、
その時曽我部さんが昔は苛立つためだった?って言っていたし。
だから私がその時感じたことは
それはそれでちゃんと感じられたってことでいいのかな?
と勝手に思っています。

で、あまり盛り上がっていなかったとはいえ、
スローテンポの曲などは会場全体が酔っているような雰囲気で、
私もそこは完全に酔えたと言えます。
カップリングの曲とか、生で聴けて本当に良かった。
誘ってくれたYくんに感謝。
こういう静かに熱くなれるライブ、
私みたいな人間には居心地が良かったな。

その頃のライブの動画(某テレビ番組)があったので。
途中で切れてしまうのが残念ですが。
私が行ったライブも同じようにこの曲で始まった。
アルバム『24時』の1曲目。
これ見ると、あの時ライブへ行けて本当に良かったなと思える。
ちゃんとこれを体感できたんだなと実感できる。
途中のもったりな感じのドラムも、これ聴いた!と思える。
ビートルズもはっぴいえんども
私が知った時にはもう存在しないバンドで、
それはやっぱり同じ時代に体感することとは違うと思う。
もう終わってしまった物語を紐解いていくような感覚がどうしてもある。
だからこそ、同じ時代にいた人たちが羨ましいと思うわけで。
サニーデイはちゃんとその時に感じることができた。
それも18~22歳という時期に。
それが本当に幸せだなと思う。

『さよなら!街の恋人たち』



もうひとつ。
この曲大好き。
この演奏も大好き。
あの頃何がそんなによかったんやろ??
なんて全く思わない。
今も同じように感動できる。
それも幸せなことです。

『3月29日のバラード』



で、この頃からバンドは変わり始めていたそうです。
『24時』のアルバムがこってり混沌としていたのも
そのせいだったようで。
5枚目からはうまくいかなくなった、って。
当時の私は2年後にバラバラになるなんて、
全く思いもしてませんでしたが。


ほんとにどうでもいいおまけ。
当時の彼氏が『24時』聴きながら、
「こんな曲でどうやって盛り上げれって言うねんな」
と一言つぶやいた時。
上で書いたようなことがうまく言えたらよかったのですが、
その時はそんなことができなくて、
若さとか虫の居所とかそんなのもあって。
反論もせず、ただしばらく口を利かなかった。
腹が立ってしかたがなかった。
サニーデイはやっぱり一人で聴くものだと実感した瞬間。





青春回顧録6

間空いちゃったなー。
私は基本宵っ張りの人で、寝つきも悪い。
寝たくても3~4時間しか眠れない日が続くこともあれば、
寝ても寝ても眠たくて、いくらでも寝れそうっていう時もある。
最近は寝ても寝てものサイクルに入っていて、
子供たち寝かしつけながら
一緒に寝てしまう日が続いてました。
大量の家事を残したまま・・・。

さて、続き。

1998年といえば、私は大学2回生。
大学生活の中で、何かと充実した濃い年だったかも。
バイトとか、恋愛とか。
摂食もスムースにできるようになってたし。
講義は真面目に出席していましたが、
ついていくのがやっとでいつも成績はギリギリな感じでしたけど。

塾講師のバイトは1年目は準備や予習に追われていましたが、
この年は2年目で揃えるものはもう揃っていたし、
大体のことが2回目になるので1年目よりも良い授業ができました。
夏期講習中は朝から晩まで塾で過ごしました。
おかげで夏の日射しを感じる機会はあまりありませんでしたが。
この年の8月は私の今までの人生の中で最も稼いだ月でした。
広告代理店の正社員だった頃よりもはるかに多く。

9月に初めての海外旅行へ出かけました。
行き先はミャンマー。
それをきっかけに卒業まで約半年ごとに
塾で稼いだお金で海外へでかけました。
ネパール、ベトナム、インドなど。

2回生って気持ち的に最も余裕のある時なんでしょうね。
3回生になると先のことが急に現実味を帯びてきて、
4回生なんて、1~3回生がまぶしく見えてたもんな~。
「若いっていいなぁ」って。
十分若いのに。

で、そんな1998年の7月に出たサニーデイのアルバム。


5thアルバム『24時』(1998年7月)16曲

ジャケットは両面とも曽我部さんによる油絵。
表が都会の夕暮れなら、裏は夜の森かな。
中身も油絵みたいにこってりとしていて、
16曲でトータル82分19秒という長編。
歌詞やクレジットは写真の上に手書きの銀文字など、
とにかく何もかもがお腹いっぱいの感じ。
そして「Recording Session」という名の
4つに折られた紙が1枚ペラリと付いていて。
誰が書いたのかはわからないけど(ディレクターさん?)
とにかく3人でないのは確か。
何月何日にどんなレコーディングをして、
このアルバムがどんなふうにしてできていったかを
事細かく書いてある。
途中3人で英国旅行へ出かけて、
スコットランドへ敬愛するトラッシュキャン・シナトラズを訪ねて
数日セッションを繰り返したことなども。
そしてこのアルバム、ほとんど3人で演奏していた前の4枚と違って、
ライブのサポートメンバーの高野さんと新井さんが多く参加していて、
楽器もいろんなものが使われ、録り方もいろいろ。
とにかくいろいろこってりお腹いっぱい。
私の1998年もなかなかこってりお腹いっぱい。

私が海外へ行く時には90分か120分かのカセットテープに
その時に好きな音楽を録音して
テープレコーダーと一緒に持って行くのが恒例だったのですが、
このアルバムからのある2曲は毎回持って行きました。
旅先の暑い国の暑い夜に聴きたくて。

『シルバー・スター』(『24時』から)
これがそのうちの1曲。
で、この曲にはもうひとつ思い出が。
2011年1月3日に94歳で亡くなった私のおばあちゃん。
生まれた時からずっと一緒に暮らしてきたおばあちゃんが
大好きだった曲なんです。
当時80歳を超えていたおばあちゃんが、
この曲が流れると私の部屋に入ってきて、
終わると出て行きました。
ちなみにこの曲はある日のレコーディングを終えて
夜3人で帰る車の中で出来た曲だそうです。
もうひとつちなみに、エレキギターのソロ。
曽我部さんがいろいろ試してもうまくいかなかったそうで、
田中さんが弾いています。



10月、このアルバムのツアーに行きました。
私にとって初めてのサニーデイのライブでした。
まあ2回しか行ったことないんですけどね。



プロフィール

りるび。

Author:りるび。
パニック障害を乗り越えて、結婚。男の子3人の母。結婚生活を送る上で、子育てをする上で、物事の考え方に変化が。子供とともに成長中。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。開業、転職を繰り返しどうにか落ち着く。
長男(マル太):9歳。何かと器用で飄々とした小学4年生。
次男(セン次):7歳。小学1年生。よく笑い、よく食べる。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):3歳。おませで口達者。甘えん坊。

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