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飛行機体験1

前回の記事で、グァムへ行きましたと
さらりと書きましたが・・・
私のブログには
「パニック障害」をキーワードに訪問してくださる方も多く、
パニック障害で普通に飛行機に乗れたの??
と疑問に思われた方もいらっしゃることと思います。
それについて知りたい!
と思われる方がいるかどうかはわかりませんが、
少し書いてみようと思います。

私は発症後に、国内線に4回、国際線に6回乗った経験があります。
いずれも「大丈夫♪」というわけでもありませんでしたが、
薬(コンスタン)と酔い止めの力を借りて
大きな発作を起こしたことはありません。
飛行機の中って飛んでいる真っ最中は
乗り物に乗っている感覚がなくなります。
外の景色も変わりませんし。
電車でも同じなのですが、私は真っ最中よりも
発車前や離陸前がいちばん苦手です。
「まだ今なら逃げられる」という状況がいちばんダメです。
以前エジプトへ行った時に
関空からルクソールを経由してカイロへ向かったのですが、
ルクソールで乗り換えるのかと思っていたら、
同じ飛行機だったんです。
で、機内で1時間くらい待機したことがあって、
あの時がいちばん辛かったです。
痕が残るくらい腕に爪を立ててました。
エンジンの振動感じた時はホッとしたくらいです。

で。
グァムへ行ける!!と決まった当初、
やったー!という気持ちと同時に、
もやっと不安を感じたのは確かです。
ですが、とりあえず不安に目を背けました。
しばらく目を背けていたいし、
背けておいた方がいいということもありました。

そして、そこからは何よりも子供たちの体調が心配でした。
今年は暖冬のせいかインフルエンザの流行が遅く、
そしてだらだらと続いていました。
セン次の幼稚園は園閉鎖になった後もお休みする子が多くいましたし、
小学校は常に数クラスが学級閉鎖という状態。
マル太の学年は4クラス中、
マル太のクラスだけが学級閉鎖にならずにいましたが、
3月に入ってから急激に欠席者が増え始めていて。
昨年は体調不良の冬でしたが、
今年は誰も何の病気にもならずに過ごせていたので、
そろそろ何かあるかも・・・とそれが心配でした。

ですが、出発5日前あたりから、
じわじわと飛行機に乗ることへの不安が大きくなり始めました。
過去、大丈夫だったとはいえ、
それは薬の力を借りていたから。
今、私は何年間もずっと頼りにしていたコンスタンを
1錠も持っていません。
2009年8月下旬に
甲子園へ阪神×巨人戦を観に行った時に飲んだのが最後で、
9月に次男を妊娠していることが分かった時点で完全断薬しました。
そして2011年に
棚にしまっていたたくさんのコンスタンとわずかなパキシルを
全て捨てました。

当時の病院へ行って薬をもらってこようか。
事情を説明して、かかりつけの内科で処方してもらえないかな。
急に薬を持っていないことに不安を感じ、心がジタバタしましたが、
以前に薬剤師さんに
「コンスタンと酔い止めを同時に飲んでも大丈夫ですか?」と聞いた時に、
「大丈夫ですがコンスタンにも酔い止めの作用がありますよ」
と言われたことを思い出し、
今回は「酔い止めを飲む」ということにしました。
酔い止め=コンスタンと言われたわけではありませんが、
自分の頭の中でそういうことにし、
(こういうのってパニック障害には結構重要です)
それで不安を少し解消することにしました。
でも、ひとつ壁が。
三男ケンゾー。
もう2歳半になりましたが、まだおっぱい吸ってるんです・・・。
もう2歳半なので、別にごくごく飲むわけではありませんし
(ほぼおしゃぶり状態)、産後2年半でほとんど分泌量もありません。
とはいえ、母乳移行する薬を飲むのは抵抗があり
ネットで調べてみました。
私が最も信頼している酔い止めの薬はアウト。
授乳中も安全と言われている薬を調べ、
それを買ってきました。

少しのつもりが長くなりそうなので
また次回に。



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機会をいただいて

4泊5日でグァムへ行かせていただきました!

厚い雲がなかなか切れなくて、
南の島!って感じの空ではなかったのですが、
過ごしやすいお天気でした。
それでもみんな(特にマル太)はこんがり。

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テンと私は新婚旅行以来の海外。
子供たちは初めての海外。
てんやわんやもありながら、
楽しい時間、素敵な経験でした。




伝記コーナーで

近頃、まんがで読む伝記にハマっている長男マル太。
エジソン、織田信長、ファーブルなど
小学校の低学年図書室の伝記は全部読んでしまったそうで。
高学年図書室のものは4年生になるまで借りられないので、
(私の通った小学校は本棚が分かれてるだけで
部屋まで分かれてなかったんですけどね)
市立図書館を見に行ってきました。

伝記コーナーをマル太とあれこれ見ていて、
私が目に付いたのがこれです。


『伝記 世界の作曲家⑫ ジョン・レノン』
マイケル・ホワイト 著  乾侑美子 訳

自分が借りるつもりはなかったんですが、
読んでみたくて借りてきました。

伝記なので「濃さ」はなく、
事実が淡々と書かれているという感じです。
まあどんな伝記も、事実だと思われているだけで
事実ではない内容もきっと多いのだろうとは思いますが。
まだ全部読み終えていないのですが、
この本を手にとってから
気付けばジョンの歌ばかり口ずさんでいます。


姉が聴いていたビートルズを耳にしていたのは小学生の時からで、
自分で好んで聴き始めたのは高校生の時から。
ジョン・レノンを聴くようになったのは大学生になってからです。
1980年12月8日(日本では9日のはず)といえば私は2歳11カ月。
ビートルズもジョン・レノンも認識していないし、
ジョン・レノンが殺害されたニュースも記憶にありません。
なので私にとってジョン・レノンは「はじめからいない人」でした。
だからきっと、生前からのファンの方とは
気持ちというか姿勢というか、同じではありません。
その日走った衝撃がどんなものだったのかも
想像することしかできません。
私にとっては、2年11カ月だけでも
ジョン・レノンと同じ時代にいたことが不思議。
そういう感じです。
そんな私でもここにうまく書ききれないような思いを
それなりに持っていますし、これからも持っていたいし、
デタラメな情報も多いかもしれないけれど
(特にオノ・ヨーコに関しては当時の性差別とか人種差別とか
奇抜なことを嫌う日本人の特性とかが潜り込んでいて
偏見のある記録のされ方をしているのでは?と感じます)
もっともっと知りたい、そんなふうに思います。


図書館に置いていた伝記は
大人向けのものばかりだったので、
結局マル太はまんがで読めるヘレン・ケラーを
おばあちゃんに買ってもらいました。
何度も何度も読み返しています。
今回この記事中に本を載せるために
アマゾンで「伝記 ジョン・レノン」で検索したら
たくさんの本が出てきました。
まんがで読むジョン・レノンの伝記もありました。
マル太もいつか興味を持って手に取るかもしれませんね。

今、私は子供たちの耳に
ビートルズもジョンの歌も届けていますが、
私がそうだったように
いつか自分から好んで聴くようになるかもしれないと思うと
ちょっと楽しみです。







プロフィール

りるび。

Author:りるび。
男の子3人の母。パニック障害発症から20年。11年間の断薬を経て、新たにパニック障害と向き合う。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。
長男(マル太):何かと器用で飄々とした高校1年生。
次男(セン次):中学1年生。支援学級在籍。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):小学4年生。おませで口達者で甘えん坊。

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