2015.12.31(Thu)
今月7回目の更新です。
公開限定の記事がひとつあり、
あっさりめの内容が続きましたが、
月に7回なんて2年前の8月以来みたいです。
9月にケンゾーが生まれたので、
ケンゾー出産後初めてですね。
2歳3ヶ月を過ぎて私の子育てに追われる日々にも
少し変化が出てきたのでしょうか?
まあ、7回くらいでおおげさですけどね(笑)
今年もいよいよ終わりですね。
ちょっと振り返りますと・・・
1~3月は自分を含む家族が順番に体調をくずし、
いつも誰かが病気の状態だった気がします。
3月の終わり、春休みに義父の実家の小豆島へ行きました。
(この時もケンゾーが出発直前まで発熱してました)
行こう行こうと思いながら、こちらの都合あちらの都合で
なかなか行くことができないままでしたが、
義父のお母さん(テンの祖母)や親せきの人たちに
子供たちを会わせることができ、良い旅行でした。
小豆島のことを記事にしようと思っていたのですが、
帰ってくると実家の母に異変が起きていました。
手足が痺れて歩行困難になり、即入院。
7月末まで4ヶ月間入院しました。
勤めることはできなくなりましたが、
現在リハビリに通いながらも元気にやっています。
春には極端な人見知りの次男セン次が入園。
想像より順調に幼稚園生活を送っていましたが、
秋になって幼稚園で口を利かなくなり、
登園を嫌がるようになりました。
現在も試行錯誤しながらの通園です。
11月に中学の同窓会に出席し、
それが予想以上に楽しくて
良い時間を過ごすことができました。
名前のある自分に戻れたようで嬉しかったです。
そんな感じですかね~。
とにかく皆で笑ってお正月を迎えられるので、
いろいろあっても良い年だったのです。
さて。
今年の締めくくりは、ややこってりめ(?)で。
12月30日。
大滝詠一さんが亡くなられて2年が経ちました。
当初の報道では、夕食後のデザートを食べていて突然倒れ、
リンゴを喉に詰まらせたと救急に連絡があったとありました。
そして、最近も元気な様子だったと。
ご自分でも何もわからないまま逝かれたのではないかと思っていましたが、
3月に行われたお別れ会で奥様が語られた最期はそれとは違いました。
亡くなられる2週間前から足腰に力が入らないなどの不調が続き、
「脳が疲れたよ」と口にされたりしていたようですが、
仕事が落ち着くまで(3月発売の『EACH TIME』30周年記念盤のこと?)
病院へ行くのはもったいないとおっしゃられていたとか。
そして亡くなられた日、夕飯前に奥様がリンゴの皮を剥いている時に
(なのでおそらくリンゴを食べていたってことはないと思われます)
突然「ママ、ありがとう!」と大きな声で言われたそうです。
奥様が驚いて振り返るとぐったりと椅子にもたれられていたそうです。
ご自身では感じるところがあったということですよね。
亡くなられた後、YouTubeから
大滝詠一さんとはっぴいえんどの動画が一掃されてしまいました。
カセットテープでしか持っていないアルバムもあったので、
時々YouTubeで曲を聴いていたので残念でしたが
著作権の問題で次々に削除されたのでしょう。
最近はまたUPされていますが。
また消えてしまうかもしれませんが、1曲だけ。
「松本隆の共作者は数多いが、
大滝詠一の共作者は松本隆ただ一人である」
これは大滝さんの言葉。
「僕の言葉と君の旋律は毛細血管で繋がっている」
これは松本さんの言葉。
1971年。
ロックに日本語の歌詞を乗せるなんてロックへの冒涜だ、
と言われた時代。
はっぴいえんど『はいからはくち』。
松本さんの怒っているようなドタバタしたドラムが大好き。
先駆者へのリスペクトを込めてというのもあるのでしょうが、
いろんなアーティストがライブなどでカバーされているようです。
今年、松本隆さんの作詞活動45周年記念に行われた
「風街レジェンド2015」ではっぴいえんどが集結しました。
その時にもこの曲が演奏されたそうですが、
「一人足りないんです」と細野さん。
大滝さんの代わりは他の3人の意見が一致して、
元ナイアガラトライアングルの佐野元春さんが
務められたようです。
キリがないのでこんなところにしておきます(笑)
とにかく私はこれからも大滝さんの作品を聴き続けます。
『はいからはくち』はっぴいえんど(1971年)
(↑YouTube)
今年も訪問してくださった皆様、
今年から訪問してくださった皆様、
コメントいただいた方々、
ありがとうございました。
ずっと変わらずマイペースでやっていきますが、
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください!
公開限定の記事がひとつあり、
あっさりめの内容が続きましたが、
月に7回なんて2年前の8月以来みたいです。
9月にケンゾーが生まれたので、
ケンゾー出産後初めてですね。
2歳3ヶ月を過ぎて私の子育てに追われる日々にも
少し変化が出てきたのでしょうか?
まあ、7回くらいでおおげさですけどね(笑)
今年もいよいよ終わりですね。
ちょっと振り返りますと・・・
1~3月は自分を含む家族が順番に体調をくずし、
いつも誰かが病気の状態だった気がします。
3月の終わり、春休みに義父の実家の小豆島へ行きました。
(この時もケンゾーが出発直前まで発熱してました)
行こう行こうと思いながら、こちらの都合あちらの都合で
なかなか行くことができないままでしたが、
義父のお母さん(テンの祖母)や親せきの人たちに
子供たちを会わせることができ、良い旅行でした。
小豆島のことを記事にしようと思っていたのですが、
帰ってくると実家の母に異変が起きていました。
手足が痺れて歩行困難になり、即入院。
7月末まで4ヶ月間入院しました。
勤めることはできなくなりましたが、
現在リハビリに通いながらも元気にやっています。
春には極端な人見知りの次男セン次が入園。
想像より順調に幼稚園生活を送っていましたが、
秋になって幼稚園で口を利かなくなり、
登園を嫌がるようになりました。
現在も試行錯誤しながらの通園です。
11月に中学の同窓会に出席し、
それが予想以上に楽しくて
良い時間を過ごすことができました。
名前のある自分に戻れたようで嬉しかったです。
そんな感じですかね~。
とにかく皆で笑ってお正月を迎えられるので、
いろいろあっても良い年だったのです。
さて。
今年の締めくくりは、ややこってりめ(?)で。
12月30日。
大滝詠一さんが亡くなられて2年が経ちました。
当初の報道では、夕食後のデザートを食べていて突然倒れ、
リンゴを喉に詰まらせたと救急に連絡があったとありました。
そして、最近も元気な様子だったと。
ご自分でも何もわからないまま逝かれたのではないかと思っていましたが、
3月に行われたお別れ会で奥様が語られた最期はそれとは違いました。
亡くなられる2週間前から足腰に力が入らないなどの不調が続き、
「脳が疲れたよ」と口にされたりしていたようですが、
仕事が落ち着くまで(3月発売の『EACH TIME』30周年記念盤のこと?)
病院へ行くのはもったいないとおっしゃられていたとか。
そして亡くなられた日、夕飯前に奥様がリンゴの皮を剥いている時に
(なのでおそらくリンゴを食べていたってことはないと思われます)
突然「ママ、ありがとう!」と大きな声で言われたそうです。
奥様が驚いて振り返るとぐったりと椅子にもたれられていたそうです。
ご自身では感じるところがあったということですよね。
亡くなられた後、YouTubeから
大滝詠一さんとはっぴいえんどの動画が一掃されてしまいました。
カセットテープでしか持っていないアルバムもあったので、
時々YouTubeで曲を聴いていたので残念でしたが
著作権の問題で次々に削除されたのでしょう。
最近はまたUPされていますが。
また消えてしまうかもしれませんが、1曲だけ。
「松本隆の共作者は数多いが、
大滝詠一の共作者は松本隆ただ一人である」
これは大滝さんの言葉。
「僕の言葉と君の旋律は毛細血管で繋がっている」
これは松本さんの言葉。
1971年。
ロックに日本語の歌詞を乗せるなんてロックへの冒涜だ、
と言われた時代。
はっぴいえんど『はいからはくち』。
松本さんの怒っているようなドタバタしたドラムが大好き。
先駆者へのリスペクトを込めてというのもあるのでしょうが、
いろんなアーティストがライブなどでカバーされているようです。
今年、松本隆さんの作詞活動45周年記念に行われた
「風街レジェンド2015」ではっぴいえんどが集結しました。
その時にもこの曲が演奏されたそうですが、
「一人足りないんです」と細野さん。
大滝さんの代わりは他の3人の意見が一致して、
元ナイアガラトライアングルの佐野元春さんが
務められたようです。
キリがないのでこんなところにしておきます(笑)
とにかく私はこれからも大滝さんの作品を聴き続けます。
『はいからはくち』はっぴいえんど(1971年)
(↑YouTube)
今年も訪問してくださった皆様、
今年から訪問してくださった皆様、
コメントいただいた方々、
ありがとうございました。
ずっと変わらずマイペースでやっていきますが、
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください!
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