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セン次のこと

今日は次男セン次について。

今年の4月に幼稚園に入園したセン次。
ただいま年中さんです。
強い人見知りのある子で、
私から離れて幼稚園で生活する姿なんて想像できなかったけど。
1学期は皆勤。毎日元気に幼稚園に通っています。
ただ、まだお友達と呼べるお友達がいません。
セン次は喋るときに出だしの音がうまく発音できません。
連続したり伸びたり、力が入って発音が変わったり、
ぱくぱくするだけで音が出てこなかったりします。
吃音です。

先生の話によると、
先生には困ったことがあれば的確な言葉で質問できるし、
何かおもしろいものを発見すればキラキラした目で教えにくるらしい。
家族に対してと同じですね。
(ちなみに「セン次の言葉聞き取れますか?」と2人の先生に尋ねたところ、
どちらの先生も「思ってたより聞き取れます」でした。)
でも、友達との会話はないとのこと。
確かにね、幼稚園の行き帰りで
「おはよう!」とか「バイバイ!」って声かけられても
まだ返すことはありません。
帰り道に公園で遊んでいる時にお友達が
「セン次くんや~」と近づいてくると逃げてしまいます。
先日は入園前の幼児教室の頃から知っている女の子のママに、
「セン次くんのこと結構前から知ってるけど、まだ1回も声聞いたことないわ~」
と言われ、周りにいたママたちもうんうんとうなずいてました。
それくらい、人の前では喋りません。
それと吃音が関係あるのかは不明。
まだ恥ずかしいとかうまく言えなかったらどうしようとか
そんな気持ちがあるようには思えないけど、
言葉を発することに気合いが必要なところはあると思う。

3歳半健診でチェックの入った「極端な人見知り」。
その頃からセン次の言葉の聞き取りにくさが
単なる幼さだけではないような気がしていたので、
発達相談を受けたら、言語の他にそのチェックが入りました。
そして支援センターの言語の先生を紹介していただき、
その後何度か支援センターに行って先生とお話しましたが、
まだ本人に自覚がある年齢ではないと思うけど、
単純に「言いにくさ」は感じているはずと言われました。
そして「喋らない」と自分の中で決めてしまっているように見えるとも。
人見知りと吃音、絶対関係あるとは言えないけど、
関係がないとも思えない。
う~ん、私が人見知りな性格で
テンはその比じゃないくらいの人見知りだから、
セン次がそうであっても何の不思議もない気もするし。
考えたところで本当のところはわからないけど。

お友達との関係を築くのは自分のタイミングでいいと思うし、
私も焦ってはいないのですが。
子供はいつどんなことでスイッチが切り替わるかわかりませんし。
ただこの先、吃音があることで、
セン次がどのくらい生活のしにくさを感じるのか…
それについては時々考えたりもします。
今は混合保育(年中と年長が同じ組)の年中。
ごまめ的な存在だし、喋りたくなければ喋らないで物事が進んでいく。
でも年長になれば放送当番があったり、皆の前で発表したり、
喋る、伝える、そういう機会もどんどん増えていく。
小学生になればなおさら。
まあまだそこを心配するには早いかな。

言語の先生のところへは昨年末に行ってからは
指定された4月と7月に電話をしただけ。
今のところ通う必要もないかなと思っていますが、
もし本人が生活のしにくさを感じるようになれば、
その時は先生のところへ通って
何かヒントをもらうつもりでいます。
「直し方」ではなく、「付き合い方」の。

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懐かしい曲

この夏のある日、副業の仕入れから帰ってきたテンが
「おもろいもんあんで」と言うので、
ダンボールと本が積み上げられた4.5畳の部屋へ行ってみると、
懐かしい8cmシングルCDの束が。
どれも90年代と思われるもので、
私が10代だった頃に流行りだった曲がたくさんありました。
涙がキラリ☆、エロティカセブン、名もなき詩、
OverDrive、スワロウテイルバタフライなどなど。
知らない曲もたくさんありましたが、
夜中に時間を忘れて1枚1枚見てしまいました。
その中に、思い出深い懐かしい曲が!
高校1年生の頃に大好きでよく聴いていた曲。
東野純直『君とピアノと』。

高校生活が楽しかったか?と聞かれれば、私の答えは「別に」。
なんだかとってもかわいくない言い方ですがそれが本当です。
部活だけは楽しかったし、私の財産になったと言いきれますが、
放課後までの生活はあまり楽しくなかった。
というよりも、今だからわかるのですが、楽しみ方を知らなかった。
もっと正確に言うならば、楽しもうとしていなかった。
部活に大親友ができたし、クラスに親友がいなくてもいいと思っていたし、
ほどほどに付き合えばいいと思っていた。
本当にかわいくない言い方ですね。でも本当なんです。
もったいなかったな、今だから思えます。

そんな高校1年生の時のこと。
「芸術」が選択制で、美術、音楽、書道とあり、私は音楽を選択していました。
音楽を選択すればクラシックギターが必要で購入しなければならず、
そのギターが目的で音楽を選択したことをはっきり覚えています。
1年生の終わりに、修了の証にそれぞれ自由なメンバーと
自由な曲で自由に表現して音楽会を行うことになりました。
私はいつも一緒に授業を受けていたTちゃんと組むことになりました。
何をどうするか決める時に、
Tちゃんが「『君とピアノと』って知ってる?」と聞いてきたので、
「知ってる知ってる!めっちゃ好き!」「ウチもめっちゃ好きやねん!」となり、
すぐに決まりました。
Tちゃんはとてもピアノが上手で、絶対音感があり、聴けば弾ける子でした。
趣味で家で鍵盤こちょこちょしてる程度の私でも弾ける譜を
Tちゃんが書いてくれました。
そしてTちゃんがグランドピアノ、私が電子ピアノで演奏することになりました。
何度かTちゃんの家に行って練習したのですが、
途中でTちゃんが、やっぱり歌もあった方がいいと言い出しました。
りるび。ちゃん、歌ってぇやと言うので、
無理無理無理無理!あかんあかんあかんあかん!と断りました。
Tちゃんも歌は嫌がったので、助っ人で(助っ人と使っていいというルールがありました)
中学生の時にコーラス部だったYちゃんに頼んでみました。
Yちゃんは『君とピアノと』を知らなかったのですが、引き受けてくれました。
でも「1人では嫌!」ということで、Yちゃんの選択でKちゃんとHちゃんを誘い、
結果ボーカル3人を助っ人に迎えるという、よくわからない状態になったのですが、
その形で無事本番を終えました。

Tちゃん、どうしてるんかな。
ちょっと不思議で変わったところのある子やったけど、
私にはない素直さのある子で好きやったなぁ。
卒業した後、大学生の時に一度駅の改札で声をかけられた。
近況を言い合った後、選挙の話をされた。
その後何度か選挙のたびに自宅に電話がかかってきたけど。
高校生活の楽しみ方がわからなかった私ですが、
Tちゃんと一緒に『君とピアノと』を演奏したことは
素直に「楽しかった」と言える思い出です。

高校生の頃と言えば。
3年生の時に担任だった当時30代半ばの女性のS先生(1男1女の母)が、
卒業前にこんなことを言いました。

私がおまえらの年の頃には、別にいつ死んでもええわと思ってた。
特別つらいことがあったわけちゃうけど、楽しいことも何もなかった。
だから死んでもええって思ってた。
でも今日まで、自分が思ってたよりもいいことがそれなりにたくさんあった。
知らんかったことがたくさんあった。こんなこともあるんやと思えた。
今は何言うとんねんと思ってくれていい。
もし、おまえらの中に死んでもええわと思ってる人間がいてるなら、
とにかく生きときや。

そんな内容でした。ものすごくものすごく印象に残ってる。
当時の私は、死んでもええわと思ったことはありませんでした。
でも楽しさがわからないのに加えて、
食べ物を飲み下せないという大問題を抱えていました。
だから余計かもしれませんが衝撃的な話でした。
たくさん心配と迷惑をかけたS先生には、
今でも年賀状で近況を伝えています。

きっと今なら うまく愛せる~♪
じゃないけど、もし私が高校生に戻れたら。
もっと上手に高校生活送れるかな?
それとも私はやっぱり私かな?

『君とピアノと』 東野純直
↑YouTube



そんなもんなんとかして

先日、幼稚園の帰りに右にケンゾー左にセン次を連れて
右向いたり左向いたりしながら歩いていると
後ろからあるママさんに言われました。
「髪の毛、ムチみたいにバッシバシなってるで~」

今年の1月初めに美容院へ行って以来、放置。
セン次の入園式前に行くつもりが、
自分を含む家族が次々に体調不良。
そして美容院へ行く時には
いつも子供たちを預かってくれる母がまさかの入院。
くせ毛で剛毛、さらに量もはんぱじゃない髪を
ずっとひとつにくくってきました。
(髪って「結う」「結ぶ」「くくる」「束ねる」、
地方によって確か違うんですよね)
ずっと気にはなってたのですが、
休みの日にテンに3人任せるのもなぁ…とか
テンの実家に預けるのも悪いし…とか
まだ体の不自由な母がいる実家に任せていいのか…とか
放置し続けていました。

「入園式の前に美容院行くつもりでそのまま行きそびれてんねん」
「どんだけ行きそびれてるん!行って行って、そんなもんなんとかして」
「子供ら預けるタイミングないんやもーん」
「まあな~、託児ルームあってもそこでぐずられたらいちばん厄介やしな」
という彼女は4児の母。
4児の母もそんなもんなんとかしてるわけで。

その数日後、なんとかしてみたら
めっちゃ簡単になんとかできた。
タイミングなんていくらでもあったんやわ、きっと。
だいぶマシになったと思ってたんやけど。
まだまだ言い訳が多い人生なんやな(笑)
彼女に感謝。

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肩甲骨あたりまであった髪を縮毛矯正とカット。
スッキリしました!
Beforeがないからわかりにくいですが、
「とにかくできる限りすいてください!」とお願いしてこの量。

ここのところ、美容院は「余裕」な感じでした。
でも、いざ出かけるときには案の定腹痛と吐き気。
もうこれは一生モンなんやろうな、記憶喪失にでもならん限り。
ん?
記憶喪失になったらパニック障害って治るんかな?
あの発作の記憶がなくなったら。
記憶がなくなっても頭が、体が覚えてたらやっぱりあかん?
それ以前に私が私である限り、やっぱりあかんかな?
だってパニック障害は外からやってくるんちゃうから。
私の中にあったものが膨れ上がっただけやから。
まあどっちでもええわ。
もし治っても記憶喪失ってどえらすぎるもん。

話が脱線しましたが…
今回はあまり「余裕」ではありませんでした。
2剤前のアイロンで、
久しぶりに気が遠くなる息苦しさとそわそわ感に襲われました。
体が硬くなってたみたいで、
途中で美容師さん(私より少し上くらいの男性)に
「疲れましたか?」と聞かれました。
緊張が伝わったんやなと思いながら、
正直に「そうですね」と答えたら急にラクになって、
シャンプー台3回を含む計3時間半の施術、無事終了。

シャンプーもドライヤーも朝の手入れも楽ちん。
肩こりもましになってくれるかな~。
床に落ちてた髪の毛の量、すごかったもん。
すごいもん背負ってたんやな。

セン次とケンゾーを見ていてくれた実家の父と母に感謝。






ただいま8歳、5歳、2歳

先週、長男マル太と三男ケンゾーが誕生日を迎えました。
ただいま、マル太8歳、セン次5歳、ケンゾー2歳です。

ブログ用 003 ブログ用 002

ケンゾー、2歳になっても前髪が生えてきません!



マル太は現在、寝ても覚めてもドラゴンボール。
漫画にカードゲームにアニメに、とにかくドラゴンボール。

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ケンゾーの昼寝用のベビー布団の頭に積み上げられた
ドラゴンボールの漫画たち。
ここに寝転がって漫画を読むのが至福の時らしいけど。
もうちょっときれいに積み上げてほしいわ
テンが副業で頻繁に古本屋に出入りするので、
ついつい買ってしまうんでしょうが、
ちょっと買い与え過ぎちゃうの~と思ったりも。
プレゼントはドラゴンボールのゲームソフト。
ボカスカ戦うゲームで私にはさっぱりわかりませんが、
マル太とセン次、そしてテンの3人で盛り上がってます。


ブログ用 004

ケンゾーはただいまトーマスに夢中。
プラレールはマル太からのおさがりがあるので助かります。
壊れてしまって動かないものも多々ありますが。
プレゼントはトーマスのキャラクターのコナーと、
トーマスの本。
トップハムハット卿のことを「はとむきょ」と言います。
困ったことは、自分でWiiUを操作してYouTubeでトーマス見てること。
気付いた時は手の届かないところへ置くようにしてるのですが、
なかなか行き届かずで。
まあ百害ではないですが…う~ん。
まだ時間制限の意味も理由もわかっていないので、
取り上げれば大暴れ。
まだ我が家にゲーム機のなかった
マル太やセン次の時には経験しなかった悩みです



お祝いのケーキはまず2本のローソクを立てて
それをセン次が吹き消し、(ケンゾーはまだできないので)
そこに6本足して8本にしてマル太が吹き消しました。
たったの2日違いですから。
経済的にいきましょう。




プロフィール

りるび。

Author:りるび。
男の子3人の母。パニック障害発症から20年。11年間の断薬を経て、新たにパニック障害と向き合う。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。
長男(マル太):何かと器用で飄々とした高校1年生。
次男(セン次):中学1年生。支援学級在籍。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):小学4年生。おませで口達者で甘えん坊。

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