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パニック障害の記録20

パニック障害の記録19の続きです。

20まで来てしまいました。
書き始めた当初は、そんなに長くなる予定じゃなかったんです。
びっくりですね
しかもまだ結構先がありますし。
症状を読んで「わかる」と言ってくださる方もいらっしゃいますし、
カテゴリ「パニック障害の記録」を読んで下さる方もおられるようです。
自分のために書き始めた記録ですが、
ちょっとくらいどなたかの役にたっているかもしれない、という思いで
現在に至るまでを頑張って書いてみようと思います。


ドグマチール、コンスタン、パキシルを服用し始め、
はじめのうちは経験したことのないような睡魔に襲われていました。
朝起きるのはもちろんつらいし、
なんとか起きても朝食食べながら気付くと寝てたり、
鏡の前でお化粧しながらいつのまにか横になってたり、
とにかく眠たい眠たい眠たい眠たい…
電車の中でも何度もガクンと膝が折れ、
あー、眠たい眠たい眠たい眠たい…
眠たすぎるおかげで、
電車に乗っている不安がないくらいでした。
仕事中はどうだったのか、あんまり覚えていないのですが
まー眠たかったでしょうね
ちゃんと仕事してたんかいな…


恐ろしい睡魔でしたが、嵐のような発作はなくなりました。
薬との相性が良かったのか、
先生の「発作を抑えられる」という言葉の
おまじまいにかかっていたのか、
両方でしょうね。
2週間だったか、3週間だったか、
睡魔が落ち着き始めると頭がスッキリしていました。
眠っている時以外はずっと続いていためまいも消え、
カプセルの中にいるような変な感覚もなくなり、
皮膚の感覚も正常に戻っていました。

不安や恐怖は無くなりはしませんが、
発作が起きないだけでどれだけラクになったことか。
ほんとにひどかったんです、その前の数ヶ月間。

病院へ行ったのが2月頃だったと思いますが、
GW頃に、一人で出勤を始めました。
一人で出勤すると言った時、
母が本当に安心した様子で嬉しそうにしていました。
病院へも電車とタクシーで一人で行けるようになりました。
今日は初めてここまで一人で来ましたと先生に言うと、
大きく頷いてくださいました。
24歳。もう立派な大人になっていましたが、
「一人でできる」と言えることが嬉しかったです。

ホーム、電車、病院の待合室ではいつも本を読んでいました。
自分に意識がいくと不安や恐怖に襲われるので、
できるだけ没頭できる推理小説を選ぶようにしました。


仕事の帰りに自宅の最寄り駅を降りると、
遠回りをして家に帰りました。
リハビリです。
「一人で外出しても大丈夫」という自信を持つために、
できるだけ遠回りをしました。
ただし、ひたすら歩き続けること。
止まってベンチになんて座ってしまったら、
すぐに不安と恐怖が襲ってきます。
「大丈夫」を手に入れるために無理をして、
「大丈夫じゃなかった」にしてしまうと、
受けるダメージは大きいです。
無理のない程度に努力をしました。



その年の秋には、友人のいる名古屋まで
一人で新幹線に乗っていきました。
春から東京暮らしをしていた姉のところへも
一人で行きました。
もちろん直前にコンスタンを飲んで。
どや。一人で東京まで行けるんやで!
と誇らしげな気持ちになったもんです。


コンスタンはすぐに減らし始めました。
6月頃の時点で、1日2回になっていたと思います。
ドグマチールは前回書いた副作用の関係で切り上げ、
パキシルは変わらず就寝前に2錠服用していました。


24歳は調子が良かったですね。
でもそんなに簡単に「克服しました」というわけにはいきません。
まだ先があります。
でも、私のいちばん辛かった時期は乗り越えました。


今日はここまでにします。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。
 また、薬の記述については記憶違いをしている可能性もありますので
 ご了承ください。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。






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パニック障害の記録19

パニック障害の記録18の続きです。
今日は薬について。

はじめに。
この記録はすべて私の記憶によるものです。
薬に関しても文字での記録は何もなく、私の記憶だけによるものです。
なので、記憶違いをしている可能性が充分にあります。
ご了承ください。

また、その時の症状によって量や回数などが調整されていました。
下記は初めて処方された薬に関しての記録です。


ドグマチール 50㎎ / 1日3回、1回1錠、毎食後
コンスタン 0.4㎎ / 1日4回、1回1錠、毎食後+就寝前
パキシル 10㎎ / 1日1回、1回1錠(→2錠)、就寝前



ドグマチールは神経系の症状以外に、胃薬の効果もある珍しい薬のようです。
10代の頃の症状を話したため、この薬を処方していただきました。
が、ドグマチールは数ヶ月服用してから切り上げました。
生理不順(通常の月経+無排卵月経で月2回生理がくる)と、
なんと母乳が出るという副作用が現れたためです。
だからといって婦人科系に何か影響があるわけではないとのことでしたが、
気になるようなら切り上げるようにとのことでしたので、切り上げました。


コンスタン、こちらが先生のおっしゃった発作を抑える薬。
即効性があり、持続性はないとのお話でした。
はじめのうちは1回2錠だったと記憶しているのですが、
ネットで調べてみたところ、1日6錠が上限のようです。
1日4回服用していたことは間違いないと思うのですが…
それでは1日8錠になってしまい、上限を超えることになります。
もしかしたら就寝前だけ2錠だったのかもしれません。
そして、この薬は後に頓服として持ち歩くように指導され、
私のお守りとして何年間もいつも携帯していました。
コンスタンとの相性はとても良かったと思っています。
私を助けてくれた薬です。


パキシルはパニック障害の薬としては有名な薬ですね。
パニック障害だけでなく、精神・神経系の症状に用いられる
メジャーな薬かと思われます。
即効性はないが、持続性があるとのお話でした。
体質に合わないことがあるとのことで、
はじめは1回1錠でしたが、特に不快な副作用らしいものは
なかったのですぐに1回2錠になりました。
この薬は1度断薬して、また服用し始めました。
1度目は徐々に減らし、上手く離れることができたのですが、
2度目は私の認識の甘さと先生とのタイミングが合わず、
いきなりの完全断薬で離脱症状と思われる症状が出ました。
良い薬ですが、副作用と離脱症状は問題視されているようですね。



今日は薬に関してだけにします。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。








パニック障害の記録18

パニック障害の記録17の続きです。

まだ診察室での話しです。
私はこの病院に約5年間お世話になりました。
その間、先生とどんなやり取りをしたのか、
事細かに覚えているわけではもちろんありませんが、
初めて診察していただいた時と、
27歳で入院した時に診察していただいた時の内容は
かなり鮮明に覚えています。


ではこれからどんな治療をしていけば良いのか。
先生のお話はこのような内容でした。
(先生は「パニック症候群」と呼ばれていましたが、
ややこしくなるので、以下「パニック障害」で統一します)

パニック障害は発作の記憶が発作を呼び起こすが、
逆にいえば、発作の記憶を薄れさせることで改善される。
そのためには、とにかく発作を減らすこと。
発作が減れば、不安や恐怖が軽減され、発作は起きにくくなる。
発作を減らし、発作を起こさなくなることで、
「大丈夫だ」と自分をコントロールしていく。
ということでした。
ものすごく納得できる内容でした。
(私の文章では納得できる内容なのかどうかわかりませんが)
パニック障害は、薬を飲めば治るというものではありませんが、
薬の力を借りて改善していくことが可能なんですね。


そして先生は、「発作を抑えられる薬があります」と
はっきりとおっしゃいました。
10代の頃、出す薬はないと言われ続けてきたので、
このことも私にとっては感動的なことでした。
本当に本当に救われる思いでした。

この時、3種類の薬を出していただきました。
薬の説明をしていただきましたが、
先生は「発作が抑えられる」ということをとても強調されていました。
それから発作が起こりそうになった時、
過呼吸になるので深く息を吸ってはいけないと教えていただきました。
ビニール袋の中や、自分の手で口元を覆ってその中で息をするようにと。
そして、1週間後に次回の予約をとっていただき、
診察が終わって私が腰を上げる頃、
「辛かったと思います。ずいぶんラクになりますよ」と言って下さいました。

この診察だけで治ってしまうんじゃないかと思えるくらい、
嬉しい気持ちで病院から帰ってきました。
実際はもちろんそんなに簡単に治ったりはしませんが


私がこの後、約5年間お世話になったこの先生について少しだけ。
いつもにこやかで穏やかで、大きく頷きながら話を聞いて下さる
先生でしたが、やたらと愛想がいいとか、子供を諭すような話し方を
される先生ではありませんでした。
(私の好みの問題ですが、愛想の良い先生って好きじゃないもんで…)
静かに丁寧に、だけど力強く話される方で、首を傾げたり、
「~かもしれない」という曖昧な表現をされた記憶がありません。
先に書いたように「発作が抑えられる」「ラクになる」と
断言していただくことで私はずいぶん救われました。
それは先生のパニック障害の患者への
コントロールのひとつだったのかもしれないですね。
だとしたら、私は上手くコントロールしていただいたのだと思います。
この先生は、現在当時の総合病院にはいらっしゃいません。
今は新しいことを始められていて、それは私には直接関係のない内容ですが、
敬意を抱かずにはいられない内容です。
何度かテレビで拝見したのですが、スゴイお方だったのだと改めて思います。


先生の言葉通り、薬を服用することで、
急激にラクになっていきました。
とはいえ、副作用や断薬の離脱症状などもありましたし、
入院するほど症状が悪化した時期もありました。
でも、薬を飲み始めてからは頭まで痺れるような発作は
起きなくなりました。
薬だけのおかげではありません。
パニック障害はセルフコントロールの問題なのだと知ったことで、
積極的に「大丈夫だ」と自信を持つ努力を私なりにしました。


次回は薬について記録したいと思います。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。





パニック障害の記録17

パニック障害16の続きです。

発作が過ぎた後、診察室に入りました。
先生は待ち時間が長くて申し訳なかったとおっしゃった後、
今、待合室でどんな状態だったのかを聞いて下さいました。
私は発作時の症状と、とても説明しにくい普段からの症状を
もどかしい気持ちで話しました。
「電車が怖い」とは言いませんでしたが、
今日ここへ来るまでにホームで調子が悪くなり、
電車になかなか乗れなかったこと、
途中からタクシーで来たこと、
普段からホームで症状がきつくなることなどを話しました。
情けないですが、一人で出勤できないことや、
今日ここへ来るのにも一人ではとても無理だったことなども。
先生はずっと頷きながら私のもどかしい話を聞いて下さいました。


私は高校生の頃から、自律神経の乱れで病院へ行っています。
身体的に異常はないのでいつも首を傾げられ、
最終的には「その他」に近い「自律神経失調症」の診断を
いただいてきました。
だから、この時、まさか自分の中で起こっていることを
わかりやすく説明していただけるなんて思っていなかったんです。

原因は様々だが、ストレスや疲労などが引き金で頭が間違った指令を出す。
酸素が足りないわけでもないのに、酸素を取り込めという指令を出し、
息を必死に吸う。結果、過呼吸になる。
食べたわけでもないのに、消化しろという指令が出る。
消化器官が激しく活動をし始め、胃や腹部に不快感が現れる。
その乱れ方がひどくなり、いろんな症状が一気に現れる「発作」を
一度経験してしまうと、また起こるのではないかと不安になる。
発作の記憶が恐怖心を駆り立て、不安や恐怖が強くなるほどに
頭は次々に間違った指令を出し、再び発作が起こる。
発作の記憶が発作を引き起こす。
発作を繰り返せば繰り返すほど、発作を起こしやすくなる。


うまく書けませんが、そのような内容でした。
そしてそれを「パニック症候群」というのだと教えてくださいました。
「パニック障害」の呼び方の方が一般的ですね。
その先生は「パニック症候群」という呼び方をされていました。

私は、私の中で起こっていることを理解されたことに驚きました。
そして説明のつかないその症状に名前をいただいたことにも。

さらに、パニック症候群の人のほとんどは電車に乗るのが怖いと
訴えるのだと教えてくださいました。
「電車はドアが閉まってしまうと出られないですからね」と
にこやかに当たり前のようにおっしゃられ、
「頭がおかしいのではないか」と怖がっていた私の不安は
一瞬で消えていきました。
パニック症候群の人にとって、
「電車が怖い」はごく当たり前のことだったのです。


すごくヘンな言い方かもしれませんが。
私は自分の得体の知れない症状に「所属先」があったことに
とても感動しました。
10代の頃の経験があったせいかもしれません。



今日はここまでにします。




※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。







パニック障害の記録16

パニック障害15の続きです。

アルバイト先の近所の神経科に通っても
症状はひどくなるばかりだった頃。
母の提案で病院を変えることにしました。
時期は24歳になって間もなく、
2月頃だったと思います。
この頃は日常生活をまともに送れていませんでした。
一人で出勤できない、コンビニにも行けない、
お風呂に一人で入れない、家ではベッドの中。
発作も1日に何度も起こしていました。
9時~17時まで勤務していたことが不思議です。


アルバイトはお休みをいただき、
母に付き添ってもらって大阪市の総合病院の神経科に
向かいました。

まず、自宅の最寄り駅のホームで発作。
母に腕をさすってもらい、発作が治まってからも
電車が来るたびに乗ろうと立ち上がるのですが、
足が進まず、何本か見送ってようやく乗車。
乗り換え駅に到着しましたが、
また電車に乗るのは到底無理な状態。
タクシーで病院まで向かいました。

この病院の神経科はとても混んでいました。
予約制のため、初診の私は予約の患者さんの診察が終わるまで
待合室で待たなければいけませんでした。
病院に着いてホッとしていたのですが、
長い待ち時間の間にまた発作。
母の膝を借りて横になり、ふるえながら順番を待ちました。
その様子を受付の方が先生に伝えてくださったようで、
動けるようになり次第、診察していただけることになりました。
予約の方には申し訳なかったですが、とてもありがたかったです。

発作が治まってから診察室へ。
見るからに穏やかそうな男の先生がいらっしゃいました。


ちょっと短いですが、今日はここまでにします。




※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。






プロフィール

りるび。

Author:りるび。
男の子3人の母。パニック障害発症から20年。11年間の断薬を経て、新たにパニック障害と向き合う。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。
長男(マル太):何かと器用で飄々とした高校1年生。
次男(セン次):中学1年生。支援学級在籍。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):小学4年生。おませで口達者で甘えん坊。

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