fc2ブログ

パニック障害の記録15

パニック障害の記録14の続きです。

何度も書いていますが、23歳の秋から症状がひどくなり、
春頃までの約半年間がいちばん辛い時期でした。
特に1・2月は不安や恐怖を感じやすい状況にならなくても
発作を起こしやすくなっていました。


ちなみに。
この2月に私は職場でテンと知り合っています。
その後2年近くはただの仕事仲間ですが、
テンは私が最も症状がひどかった時期を見て知っているので
パニック障害について説明する必要も、
理解を得る必要もありませんでした。
それは私にとってとてもありがたいことでした。



発作の頻発していた頃、ヘンな癖がついてしまいました。
発作の恐怖と苦痛から逃れるためについてしまった癖です。
自分の腕に爪を立てること。
以前に書きました通り、この頃の私の皮膚の感覚はおかしく、
半分麻酔がかかっているみたいな状態でした。
なので、爪を立ててもジンと痺れるだけで
痛みはほとんど感じなかったのですが、
息苦しさや気持ち悪さや恐怖に別の痛みを加えることで
それらを軽減しようとしたのか…
そんな癖がついてしまったのです。
しかし、これは有効でした。
そうすることで「大丈夫、大丈夫」と自分に暗示をかけているみたいで、
なんとか発作をやり過ごしていました。
そして、発作の起こりそうな時にも自分の腕に爪を立てて
落ち着こうとするようになりました。
なのでこの頃の私の両腕は爪の形のアザや引っ掻いた痕、
血の滲んだ痕だらけでした。

この癖は今もなおっていません。
病院の待合室やスーパーのレジの順番待ちなど、
ふと不安や恐怖を感じるとすぐに爪を立ててしまいます。
あまり良い方法だとも思えませんが、
私のおまじないとして定着してしまいました。
それで少し落ち着けるのだからアリということにしています。
今は発作を起こさないので
それほど強い力を入れることはありませんし、
何より皮膚の感覚が正常に戻っているので痛いです
なので痕が残るほど…ということはありません。


発作、発作と書いていますが、
私はこの頃まだパニック障害の診断を受けていません。
なのでそれがパニック発作だという認識はありませんでした。
「自律神経失調症」の診断を受け、
処方された漢方薬を飲み続けていましたが、
効き目はありませんでした。
むしろどんどんひどくなっていき…
母の提案で病院を変えることにしました。
以前、母が買ってきてくれた自律神経失調症の本の
最後のページに載っていた病院紹介。
その中から大阪市にある大きな総合病院の神経科を選びました。
とても知らない場所に一人で行けるような状態ではなかったので、
母に付き添ってもらい、その病院を受診しました。



今日はここまでにします。




※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。




パニック障害の記録14

パニック障害の記録13の続きです。


昼間の週刊誌のアルバイトは続けていました。
仕事中の発作はあまりありませんでした。
特に忙しい時は大丈夫。
手が空いてしまうと自分に意識が行き、
突然不安に襲われることはありました。
お昼休みや、帰宅前が危険でした。
帰宅前は仕事が終わってホッとする反面、
電車に乗らなければいけない恐怖がありました。
調子が悪いと会社から出られずにぐずぐずして
そのまま発作を起こすこともありました。
発作を起こすと、椅子をつなげて横にならせてもらいました。
仕事中に発作を起こすことはあまりなくても、
迷惑かけてばかりで、ここにもいられないなと思いましたが、
どうしても辞めたくなかった。
仕事が楽しかった、職場が楽しかった、
それもありますが、何よりここを辞めれば
社会復帰なんてできない気がしていました。
毎日ふるえながらでも、ここへやって来れば
私の中では人並みの生活ができていることになりました。
「出勤」という義務がなくなれば、
家から出ることができなくなりそうな気がしました。


直属の上司(女性)に相談しました。
「私はここにいてもいいんでしょうか?」と。
私はこれまでずっと人に恵まれてきました。
この時もそうでした。
どうしても辛くて辞めたいというのでなければいてちょうだい、
いつか良くなると自分は思っている、
必要な人なので今はいてくれるだけでもかまわない、
それよりも仕事にも何らかの原因があるのなら解決したい、
というお返事をいただきました。
本当にありがたかったです。
もちろん、本当にいるだけでかまわないわけではありません。
それくらいのことは分かる人間だとわかって
言ってくださった言葉です。
アシスタントのアルバイトのことはこの方に任されていましたので、
余程のことが無い限り、この方がOKと言ってくださればOKでした。
私が帰り際に調子が悪いと会議室の椅子をつなげて
横になれるスペースを作ってくださり、
横になっているとご自分のコートをそっとかけに来てくれる
本当に優しい方でした。

もう一人、私は後輩にも恵まれていました。
ある日の昼休み、飲み物を買いにコンビニへ行きたかったのですが、
一人で行くのがどうしても怖くて、
「体調悪くて不安やねんけど、ついてきてくれる?」と頼むと、
一緒に行ってくれました。
それ以来、私が財布を持って立ち上がると、
一緒に行きましょうか?と言ってくれる優しい後輩でした。


いちばん症状の強かったこの時期、
職場に対して後ろめたさを感じていました。
でも、周りの人たちの理解や協力や優しさがあって、
辛かったこの時期も仕事を辞めずに
乗り越えられたのだと思います。
あの時、この仕事を辞めていたら…
どうなっていたか、わかりません。


そして、もう今ではわからないのですが。
勤務中の発作はあまりなかったとはいえ、
以前書いた通り、この頃の私は現実感を失くすことも多く、
いつもふらふらとしていました。
皮膚の感覚さえよくわからない状態だった私。
本当にちゃんと仕事できてたんかな…
アルバイトといえ、アシスタントといえ、
どんな仕事もそうですが、責任ある仕事でした。
週刊誌なので毎週〆があるし、タイトな仕事でした。
どうなんやろ。
夢の中にいるみたいな頭で、
どこまで正確な仕事ができていたのか…
今考えるとゾッとしたりもします。


今日はここまでにします。


※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。






パニック障害の記録13

珍しく、パニック障害の記録を3連発で更新しています。
いちばんひどい頃のことなので、書くのに気合いが要ります。
ちょっと重苦しい内容が続いてますが、
勢いで書いてしまいたいと思います。


パニック障害の記録12の続きです。

出勤に付き添いが必要で、塾講師のアルバイトを辞めた頃。


まともにお風呂に入れなくなりました。
閉鎖的な空間で、裸。
裸になるとどこにも逃げられない気がして怖かった。
それにシャンプーや石鹸を使うとますますすぐに逃げられない。
(経験のない方からしたらアホらしいですよね…)
当時の私にとっては恐怖の空間でした。
なので、湯船にザブンと入ったらすぐに出て、
シャンプーや石鹸はろくに泡立てもせず、
ふるえる手で塗りつけたら頭からシャワーをザバザバと浴び、
すぐにお風呂場を飛び出し、ろくに拭くこともせず
バスタオルを体に巻きつけたらベッドに倒れ込む。
ふるえや動悸が治まるのをしばらく待ちました。
家族でいちばん長風呂だった私が、
5分もせずに出てくるようになりました。

無理に湯船に入らなくてもいいし、
シャンプーだって使わなければいいのに。
でもそれはそれでできないんです。
「お風呂が怖い」なんてやっぱり頭がおかしいとしか思えない。
ちゃんといつも通りのことをひと通りできなかったら、
「お風呂が怖い」を認めたことになる。
それが怖かったのかもしれません。
ヘンかな?やっぱり。
私らしいけど、そういうところ。
ひと通りできなかったから…って、
ほとんどできてないに等しかったんですけどね。

私がお風呂に入る時には母、姉、祖母のだれかが
洗面所で待機してくれるようになりました。
いつも少しだけお風呂の扉を開けて入るようになりました。
少し不安は減りましたが、情けなさは倍増しました。



今日はここまでにします。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。



パニック障害の記録12

パニック障害の記録11の続きです。

11で書いたような発作が頻発していた頃。



一人で出勤できなくなりました。
自宅の最寄り駅から勤め先の駅までわずか10分程度の電車。
それが耐えられない。
東京の地下鉄に比べれば大したことはないのでしょうが、
それでも大阪の大動脈、地下鉄御堂筋線。
朝は当然ながら混んでいます。
狭い場所に大人数。
なかなか身動きがとれない。
気が遠くなるほど不安な空間。
まず最寄駅のホームからなかなか電車に乗れない。
やっと乗れても途中の駅で降りてしまう。
降りるとまたなかなか乗れなくなる。
ガクガクふるえながらの通勤。
当時、父はすでに定年退職しており、
パート勤務で朝は遅かったので
父が勤め先の駅まで毎朝付き添ってくれました。
出勤時間が不規則だった姉が付き添ってくれることもありました。
誰かがいてくれるだけで、不安は半分位になりました。
それでも途中で降りてしまうこともありましたが。

帰りは基本的に一人で帰って来ました。
ドアにいちばん近い座席に座れると少しマシでした。
どうしても一人で電車に乗ることができない時は
父が駅まで迎えに来てくれました。
または発作を起こして駅員さんに助けていただきました。


学生時代から続けていたアルバイト。
塾講師。
塾までは昼間の勤め先から自宅の最寄り駅を通過して
2駅先まで行かなければいけません。
気が遠くなりました。
それでも発作が頻発し始めるまでは続けました。
ある日、ふるえながら塾に到着し、
そのまま机に伏せて動けなくなりました。
見かねたマネージャーが
(この方は自律神経系の症状を持っておられる方で
なんとなく私の状態を察知しておられるようでした)
生徒に連絡して下さり、その日は休講になりました。
落ち着いてからタクシーを呼んでいただき、帰宅しました。
講師都合のドタキャン。
そんなものを続けるわけには絶対にいきません。
もう塾までの道のりも、授業をすることも
完全に自信がなくなりました。
翌日、マネージャーに連絡し、辞めさせてほしいと伝えました。
国語を担当できる講師は少なく、
代役を務めなければならない講師に多大な迷惑をかけることは
よくわかっていましたが、どうにもなりませんでした。
マネージャーは私の勝手を咎めることなく、
自分もその方がいいと思う、塾にとっては痛手だけど、
先生にとってはその方がいいと思う、
という内容を言ってくださいました。
(実際、ドタキャン連発なんてことになったら、
その方が塾にとって痛手ですよね…)
荷物の片付けや書類手続きなど、
本当は塾に出向かなければならないところでしたが、
自宅からわずか2駅がその時の私にはとても遠く感じられて
出向くことはできませんでした。
4年半勤めた塾講師を電話1本で辞めました。
講師たちに挨拶することもなく、生徒たちに挨拶することもなく、
代役の講師に引き継ぎもしないまま。
この塾のアルバイトが続けたくて就職しない道を選択したのに、
まさかこんなことになるなんて。
情けなかったです。



今日はここまでにします。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。





パニック障害の記録11

パニック障害の記録10の続きです。

勤め先の近所の神経科でいただいた
漢方薬を飲んでいた頃です。
まだパニック障害の診断は受けていません。


身体的な症状

・動悸 ・息苦しさ ・めまい、ふらつき
・胃の不快感(ひどいと吐き気)
・お腹の不快感
・自分が本当にここにいるのかわからなくなる感覚
 (カプセルの中に入っているような感覚)
・皮膚が半分麻痺しているような感覚

うまく書けませんね。
最後の2つは特にどう表現していいかわからない。

最後の皮膚が半分麻痺しているような感覚、というのは
歯医者で麻酔をしていただいた後、
切れかけの時に触ると痺れるような感じがする、
それが全身で起こっているような感じです。
伝わりますか?
本当にうまく書けませんね
どこをつねってもジンとするだけで
痛みを感じないというか、
本当に触っているのかわからないような…


精神的な症状

・強い不安感、焦燥感(電車・駅のホーム・コンビニなど)
・ドア(出口・逃げ場)から離れる恐怖感
・すぐに横になれない状況に対する恐怖感(外出・お風呂など)

何もかもイヤになる、死にたくなるなどの
精神状態に陥ったことはなかったと思います。
ただただ、不安・焦燥・恐怖に支配されていました。


発作時の症状

・上に書いた身体的な症状+精神的な症状が増す
・手足がふるえる
・手足が冷たくなる
・冷たい汗が出る
・ピーク時に手足と頭が痺れる
・一歩も動けなくなる(うずくまって動けなくなる)


不安・焦燥・恐怖を強く感じやすい状況になると、
そわそわと落ち着かなくなり、手足がふるえ始め、
上に書いた身体的な症状が強まって一気に押し寄せる。
それが発作です。
叫んだことはありませんが、呻き声が出たり、
「助けて」と口に出てしまうほどの恐怖です。
ピークになると手足と頭が痺れます。
その痺れが治まれば徐々に落ち着いていきます。


23歳の秋から冬にかけて、発作は頻発しました。
(「発作」と言っていますが、この時私はまだ
パニック障害の診断を受けておらず、
それがパニック発作であるという認識をしていませんでした)

ちなみに、
パニック障害の記録7、パニック障害の記録8で書いたような
窒息してしまうのではないかというような
息苦しさと胸痛に襲われる発作は、
その2回以外は経験していません。
その後は上に書いたような発作ばかりでした。


症状も発作の様子も本当にうまく書けませんね。
もどかしいです。


今日はここまでにします。



※パニック障害の症状や発作を起こしやすい場所や状況など、
 患者さんそれぞれで異なるものと思われます。
 私がつらつらと書き連ねるパニック障害についての内容は
 あくまで私個人の経験の記録です。

※これまでの記録はカテゴリ「パニック障害の記録」を
 ご覧ください。



プロフィール

りるび。

Author:りるび。
男の子3人の母。パニック障害発症から20年。11年間の断薬を経て、新たにパニック障害と向き合う。
ダンナ(テン):天然で楽観主義。
長男(マル太):何かと器用で飄々とした高校1年生。
次男(セン次):中学1年生。支援学級在籍。言葉と情緒、見守り中。
三男(ケンゾー):小学4年生。おませで口達者で甘えん坊。

カテゴリ
最新記事
最新コメント
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
FC2ブログランキング
参加中です

FC2Blog Ranking